ダンサー、女優だったシド・チャリシーが6月17日(火)、
心臓発作のためロサンゼルスのCedars-Sinai医療センターで死亡したことを、
長年にわたりビジネス・マネージャーを務めたスタン・シュナイダーが明らかにした。 最近2番目の夫である歌手トニー・マーティンとの結婚60周年を祝ったばかりだったとし、 「いつもおしゃれで優美だった。亡くなる2週間前に会ったときも美しく着飾り、 髪型もきちんとしていた」と語った。 シド・チャリシー(Cyd Charisse、本名 Tula Ellice Finklea)は、1922年3月8日、 テキサス州アマリロ生まれ。小さな頃からバレエを習い、アドルフ・ボルムや ブロニスラヴァ・ニジンスカと一緒にL.A.でバレエを学び、 MGMの研究生となる前のわずかな間、バレエ・リュスでも踊っていた。 1メートル67センチ、長い脚と美貌で知られ、当時MGMのスターだったフレッド・アステアや ジーン・ケリーの相手役を務めたことが、チャリシーを一躍スターダムに押し上げた。 デビュー作は、アステアと共演した『ジーグフェルド・フォリーズ』(46)で、 2度目 |
に共演し、ヒロインを演じた『バンド・ワゴン』(53)では
“Dancing in the Dark”や“Girl Hunt Ballet”などのダンスが高く評価された。
アステアとは『絹の靴下』(57)でも再共演した。 またケリーとは『雨に唄えば』(52)で初めて共演し、ケリーと“Broadway Melody”を モチーフにしたナンバーを踊り、絶賛された。『ブリガドーン』(54年)と 『いつも上天気』(55年)で共演した。 チャリシーは、60〜90年代にかけてテレビ出演を続け、 92年に70歳にしてミュージカル「グランド・ホテル」でブロードウェイ・デビューを果たした。 マネージャー、バド・モスによると、2007年7月にはフランスのテレビ局製作の映画 “Back to the Empire State Building”に出演。アメリカ映画に賛辞をささげる作品で、 カーク・ダグラスやトニー・カーティス、ミッキー・ルーニーらも出演し、 英語で撮影されたが、配給はフランス国内のみだという。 チャリシーには、60年連れ添った夫トニー・マーティンと2人の息子、2人の孫がいる。 葬儀は22日の午後、ロサンゼルスのヒルサイド・メモリアル・パークで行われる予定。 |
≪出演作≫ 夢みる少女 闘牛の女王 北の狼 雨に唄えば 君知るや南の国 バンド・ワゴン 我が心に君深く ブリガドーン |
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ラスヴェガスで逢いましょう いつも上天気 絹の靴下 暗黒街の女 ブラック・タイツ 明日になれば他人 サイレンサー 沈黙部隊 ザッツ・ダンシング ザッツ・エンタテイメント PART3 |
(55) (55) (57) (58) (60) (62) (66) (84) (93) |