1980年代に、佐賀県が工業団地を計画して文化財発掘の調査を
始め、1986年からの本格調査で遺跡が発見された。 その後、マスコミが取り上げることになり大勢の見学者が訪れることとなった。 |
このほど、当時の興奮をそのままに吉野ヶ里を訪れたが、全く期待を
裏切られた。 近代的な建造物の歴史公園センター。「遺跡」というイメージはない。 同行の説明者もその辺のところを残念がっていた。 |
逆茂木(乱杭) 米作りが盛んになって水や土地の奪い合いが起こる。 自分たちの集落を守るためのバリケードだ。 |
櫓門 柵で囲まれた集落には、いくつかの門があるが、正門は櫓門となっており、 上には兵士が四方を監視していたらしい。 |
南内郭正門の物見櫓 集落の中には南内郭と北内郭があって、南内郭は行政府、北内閣は 宮殿か。南内郭の正門脇には左右に物見櫓がある。 |
鳥が止まっている正門 正門の上には鳥が3羽止まっており、鳥居の起源であるのか。後世の説の「鶏」には見えない。 2羽の小さい門もある。 |