岡山後楽園

岡山市後楽園1−5 (2007.11.8)

江戸時代に、岡山藩主・池田綱政によって造られた日本3大名園の一つ、 岡山後楽園。貞享4年(1687)に着工、元禄13年(1700)には一応の完成をみたという。 約4万坪(133,000u)。

岡山城の後に作られた園、後園と呼ばれていたが、「先憂後楽」の精神で造られたことから 、明治になって後楽園と改められたという。
正門を入って右手前方に岡山城が。 藩主は城から間の旭川を船で渡って後楽園にきたという。 御船入跡が残っている。
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正門の右手には能舞台もある「延養亭」。
藩主が訪れたときの居間で、庭園が一望できる中心にある。
延養亭・能舞台の前の「花葉の池(かようのいけ)」には、 園内の曲水と沢の池からの水が、滝の石組の中に流れ落ちてきている。 曲水は、かつて旭川の5キロ上流からサイホンの原理で水を園内に引き入れていたという。
能舞台の池の前には、巨岩を90個余りに割って運び込み、それを元の形に 組み上げたという「大立石」が。 岩を割ったノミの跡がくっきりと残っている。
庭園全体を見渡せる約60mの築山「唯心山(ゆいしんざん)」山頂からの眺望。
池の左手に「延養亭」が見える。正面が「沢の池」。
小島は左から「砂利島」、「御野島(みのしま)」、 橋が架かっているのが「中の島」という。
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