掛 川 城

(2004.8.23)

 掛川城は、戦国時代の文明年間(1469〜86)、 駿河守護大名今川義忠が遠江支配の拠点として、重臣朝比奈泰煕に築かせたといわれている。

 桶狭間の戦い(1590)で今川義元が織田信長によって倒されると、永禄11年(1568)義元の子氏真は、 武田氏に駿河を追われ、掛川城に立て籠もった。 翌年、
徳川家康は掛川城を攻め長期にわたる攻防の末、 和睦により開城させた。

 家康領有後、重臣石川家成が入城、 甲斐からの武田氏侵攻の防御の拠点となった。  天正18年(1590)全国平定を達成した豊臣秀吉は、家康を関東に移すと、 家康旧領地には秀吉支配下の大名を配置し、掛川城には山内一豊が入った。
 一豊は多くの戦乱に よって傷んだ城の改築や城下の整備を行うとともに、 このとき初めて天守閣を造った。

 江戸時代には、徳川親藩の松平氏や、江戸城を築いた太田道灌の 子孫太田氏など11家26代の居城として栄えた。


(掛川城パンフレットより)
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