本 土 寺

千葉県松戸市平賀63
(2008.6.15)

 長谷山本土寺はJR常磐線北小金駅から歩いて10分。

 「本土」とは、 「我此土わがこのど」、つまりお釈迦様が 本当の佛、本佛となって住む国土「本土」に由来するという。

 参道を進むと正面の高台に本堂、左手には五重塔が見え、 1万坪の起伏に富んだ地形に、桜や楓、紅葉の木々に、初夏は菖蒲と紫陽花が 賑わっている。
   この地は、もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられ、700年前に 領主の曽谷教信卿の協力により領内の地蔵堂を移して法華堂とし、日蓮大聖人より長谷山 本土寺と寺号を授かったのに始まるという。

 草創は建治3年(1278)とも文永6年(1269)ともいわれている。

 後に、将軍家より御朱印地10石と乗輿独礼のの寺格を与えられ、水戸徳川家からも菩提寺格として 寺領を寄進された。

 長谷山本土寺は、鎌倉の長興山妙本寺、池上の長栄山本門寺、とともに日朗聖人開基の 三大寺「3長3本」と呼ばれている。

 近年、新築された五重塔の左手には鐘楼がある。
      梵 鐘

 建治四年(一二七八)鋳造の釣り鐘で、千葉県下で二番目に古く、高さ一三〇・七 センチ、径六九・〇センチで約七〇〇キロの重さがある。

 この鐘は文明十四年(一四八二)本土寺第十台住職日瑞のとき檀那の設楽助太郎、 大伴継長の協力を得て、求めたことが記されている。
 また、この鐘は初め印東庄六崎(佐倉市)の大福寺にあったことがわかり、 製作者は上総国刑部郡(長生郡長柄町)の大工、大中臣兼守と記されている。

 長柄町は昔から鋳物や金銀細工が盛んなところでこの鐘は、千葉県の工芸の歴史を知るうえで 貴重な存在となっている。
    (境内の説明文より)
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