絞りの町有松は、江戸時代のはじめ、徳川家康が江戸に幕府を開いてまもない慶長13年(1608年)に、
絞開祖竹田庄九郎らによって誕生したという。 昔の繁栄と日本建築の美しさを今に伝える家並みは、200年を経過した貴重な文化財である。 その景観は、名古屋市の町並み保存指定第1号として、また全国町並み保存連盟の発祥地としても知られており、 有松を代表する価値ある建物群である。 有松山車会館→ |
服部家住宅 服部家は寛政2年(1790)創業の絞問屋で、屋号を井桁屋という。屋敷地は東海道に面して間口が広い。 中央部に店舗及び居住として利用する二階建ての母屋を配し、 井戸屋形、店倉、藍蔵、門など合わせて11棟の建物が有力な絞問屋の屋敷遺構の典型として、昭和39年(1964)県の有形文化財に指定された。 母屋の2階は黒漆喰の塗籠造(ぬりこめづくり)、屋根両妻に卯建(うだつ)を設ける。 土蔵(写真下・奥から2軒目)は漆喰の塗籠造で、腰は海鼠壁(なまこかべ)とし、防火対策を行っている。 |
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服部幸平家住宅 服部幸平家は、西隣(左側)の絞問屋・服部家から分家した家柄であり、かつて屋号を井桁一といった。 明治時代中期、分家の際に譲り受けたこの倉は、切石の土台の上に建てられた木造切妻2階建て桟瓦葺で、白漆喰の塗籠造、 腰を海鼠壁とし、江戸時代の様相を呈している。服部家住宅一体をなしている点で、有松の町並み景観上、非常に重要である。 昭和62年(1987)、県の有形文化財に指定された。 | |