五百羅漢の顔を眺めていると、2世紀も前のものとは思えず、
現代の世相をそのまま現している。と同時に、己の姿が映し出されていて、時に恐ろしくなってくる。
喜怒哀楽の表情のある中で、怖いのや悲しそうなのは見ないようにして、
どうしても楽しそうな嬉しそうな方に目が行ってしまう。現実を直視したくないのだろう。
滋賀県琵琶湖の近くで見た五百羅漢は、小さな人工の小山の上に点在している自然の姿だった。
こちら川越は塀の中に整然と並べられてあり、残念だ。いつの時代にこうなったのか説明はないが、
元の状態が知りたい。
阿羅漢が、悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人というなら、
どうして、あのような苦しみの顔、寂しげな顔、怒りの顔・・・があるのだろうか。
いつまで見ていても飽きることがない。
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