悲しみよこんにちは

<Bonjour Tristesse>   (57年米英)

<スタッフ>
製作・監督
脚色
原作
撮影
美術
衣装
音楽

<キャスト>
アンヌ
レイモン
セシール
エルザ
フィリップ
グレコ

オットー・プレミンガー
アーサー・ラウレンツ
フランソワーズ・サガン
ジョルジュ・ベリナール
レイモンド・シム
ジヴァンシイ
ジョルジュ・オーリック



デボラ・カー
デヴィッド・ニヴェン
ジーン・セバーグ
ミレーヌ・ドモンジョ
ジョフリイ・ホーン
ジュリエット・グレコ
 フランスの18才の少女フランソワーズ・サガンが書いた小説「悲しみよこんにちは」は 世界中の話題を集めた。早くも14カ国に翻訳紹介され、38週間ベストセラーのトップ、 そして1956年中に130万部売れたという記録のアメリカを初め各国で最高の売行きを示している。 特に日本に於いては「挽歌」をはじめ数多くの若い女性作家ブームを作る動機ともなった問題の小説である。
 この現代最高のセンセーショナルな小説を「月蒼くして」「帰らざる河」「黄金の腕」等の 如く常に新しい材料に意欲を抱くオットー・プレミンガー監督が注目した。 彼は1955年5月にプロデューサー兼監督として映画化権を獲得、慎重な準備に入ったのである。
 主人公はセシールという17才の少女である。 青春前期にある少女の常として異様に鈍い観察限で大人たちを眺める。 新鮮な感情にとって未知の世界は驚きでもあろう。更にこその頃の少女だけが持つ 一種の残酷ささえもある。自分より優れている女性への反感、増しみ、こういった感情を持っている。
 従って、少女セシールを演ずる女優に依ってこの映画の真価は決定されよう。 プレミンガー監督は自ら全米及び欧洲の18000名に及ぶ候補者から選出した一少女ジーン・セバーグを起用したのである。 父親には「八十日間世界一周」のデヴィット・ニヴェン、アンヌには「地上より永遠に」「めぐり逢い」の デポラ・カー。父の愛人エルザに現代仏映画界の新星ミレーヌ・ドモンジョ、セシールの恋人フィリップ(原作ではシリル)は 「戦場にかける橋」のジョフリイ・ホーン、其他フランス最高のシャンソン歌手ジュリエット・グレコ、 伊映画のスター、ウォルター・チァリ、英映画のマーティタ・ハントという棄華な顔ぶれを揃えた。 正に原作小説を織りゆく人々の性格を完璧にとらえた配役の好味である。
 脚色はアーサー・ラウレンツが原作の雰囲気を巧みに生かしている。撮影は 原作通りの南仏リビェラの海岸と巴里に於いて行われ、原作者サガンが数回にわたって訪れ 製作に対してプレミンガー監督と意見をかわしたという。
 撮影は・ルネ・クレールの数多くの作品で感覚的に優れた画調をもって有名な ジョルジュ・ベリナールが黒白(黒白にセピアを加えた感じ)とテクニカラーの 両方を使用するという新手法を示している。 明るい楽しいリビエラの夏の生活を色彩で、悲しみに閉ざされたパリの日を黒白。 このコントラストは素晴しい。これも少女セシールの感情を細部にわたって描き尽そうとする プレミンガー監督の新しい野心なのである。
 製作デザイナーは「ハムレット」で装置と衣裳のアカデミー賞を獲得した ロジャー・ファース、衣裳は30年来パリのデザイナーとして世界的に有名なジヴァンシイ。
 音楽は「ローマの休日」「居酒屋」「ノートルダムのせむし男」のジョルジュ・オーリック。
 <梗概>  あの夏からは総てが変った。何もかも、永遠に――。
 その夏までは人生というものは何時も同じものだと思っていたし、人生に就いても多少なりとも 理解していると信じていたのである。あのことがあってから帰って来たパリの生活は物憂い悔恨と哀しみの毎日である。 展覧会を見てもパーティで、グレコの歌うシャンソンを聞くにつけても私の心は暗い。
 丁度一年前の夏、私は17であった。そして全く幸福であった。私達は南仏セント・トラぺッツの別荘を借りていた。 海を見下す崖の上にある大きな白い建物、海も、砂浜も、林も、そして夏そのものも私達のものであった。 私達とは父レイモン、私セシール、そして父の愛人エルザ。母は15年前に亡くなって以来 修道院で勉強中だった私と父とが一諸に過す最初の休暇だった。父は40才、永いやもめ暮しの生活力に満ちた事業家で 好奇心が強く、飽き易く、そして女にもてた。親切で朗らかで私に溢れるような愛情を持っていた。 私は父以上に良い面白い友達は想像出来ない。エルザは半玄人でワンサをしたり、街の酒場に出入りしたりしている女だが 気だてがよく玉の輿に乗ろうという野心は持っていなかった。彼女のような女友達は父の生活には数多く、 また父にとっても必要だということはよく解っていたのである。
 最初の日は眩ゆいばかりであった。私達はパリの凡ての埃を洗い落さうと泳いだ。 エルザは赤むけになってひどく痛がっていた。海は青く白い?が舞降りて来た。 その時、私は岬の先にボートが転覆したのを発見して駈けつけた。手伝ってフロートに繋留Lてやった。 若い法科の学生フィリップで、この先の別荘に母と共に来ているとのこと、明けっぱなしで 人をいたわるような態度は好感が持てた。
 夕食の後に父がポケットに忘れていた手紙を女中が持って来た。アンヌ・ラルサンからのもので 此処へ訪ねて来るという、彼女は亡母の友達で夫と離別し衣裳デザイナーとして活躍していた。 42才にはなろう。しかし美しい優雅な洗練された人で、以前私に趣味のよい衣裳を調え暮し方を教えてくれたことがある。 私は大変尊敬している。多少の怖れをもって――。だから私達の気楽な生活が彼女の出現で終りになりそうだと直感した。 エルザはアンヌの社会的地位に就いて質問した揚句、寝に上って行った。
 日曜日、暑い日だった。父とエルザがアンヌを駅まで迎へに行った。私は海辺でフィリップと逢っていた。 暑さの中で放心、最初の接吻、ため息のうちに何分かが過ぎて上の方の家の前に自動車の止まる音を聞いた。 駈けつけるとアンヌが美しく微笑んでいた。父達とは行き違いになった訳である。 家の中に案内するとアンヌはスーツケースを開けながら私の大学人学試験のこと、試験勉強のことを聞いた。 ・・・    (94分)

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