燃える平原児

<Flaming Star>   (60年)

<スタッフ>
製作
監督
原作

脚色

撮影
美術

音楽
音楽指揮

<キャスト>
ペイサー
ロズリン・ピアス
クリント
ネディ・バートン
父親バートン
酋長バファロー・ホーン

デビッド・ワイスバート
ドン・シーゲル
クレア・ハフェイカーの
   小説「燃える槍」より
クレア・ハフェイカー
ナナリー・ジョンソン
チャールス・G・クラーク
ダンカン・クレイマー
ウォルター・M・シモンズ
シリル・J・モックリッジ
ライオネル・ニューマン


エルビス・プレスリー
バーバラ・イーデン
スチーブ・フォレスト
ドロレス・デル・リオ
ジョン・マッキンタイア
ルドルフ・アコスタ
 開拓時代の西テキサスを背景に、白人とインディアンとの闘争と、 それに巻きこまれた混血児と腹ちがいの白人の兄とにまつわる宿命的な悲劇を 描いたクレア・ハフェイカーの小説「燃える槍」の映画化で、 製作は古くは「やさしく愛して」最近では「フォートブロックの決闘」を手がけた デビッド・ワイスバートが当った。
 脚色は西部劇では「拳銃王」や「無法の王者ジェシイ・ジェイムス」の脚本を書いた 名脚本家ナナリー・ジョンソンが原作者ハフェイカーと共同で行い、 「第一号檻房の暴動」や「暴力の季節」を出したドン・シーゲルが演出した。
 監督ドン・シーゲルは1912年10月シカゴで生れた。イギリス・ケンブリッジ大学と ロンドン王立演劇学校に学び、ハリウッドの現代演劇グループに入り、33年に ワーナー社のフィルム・ライブラリーの助手からフィルム編集助手となり、さらに モンタージ部長を経て、脚本執筆、記録映画製作に進出、45年に HITLER ALIVE (生きているヒットラー)によりアカデミー短編賞を獲得、翌46年に劇映画の監督となった。
 音楽は「バス停留所」のシリル・モックリッジ、撮影監督は「悶え」 「フォートブロックの決闘」のチャールス・G・クラークで、カリフォルニア州 サン・フェルナンド谷とサンタ・モニカ山岳地帯でロケした。
 主演者は「やさしく愛して」で紹介されたロカビリー歌手で最近「G・I・ブルース」に出演した エルビス・プレスリー、TV出身のフォックス売出しの新星バーバラ・イーデン、 ダナ・アンドルースの弟で「五人の札つき娘」い出演した新人スチーブ・フォレスト、 メキシコ出身のベテラン名女優ドロレス・デル・リオと「サイコ」のジョン・マッキンタイアで 他に「誇り高き男」のルドルフ・アコスタ等が助演している。
 <梗概>  ペイサーは兄のクリントと、夕暮れの中を家へ急いでいた。 ここはテキサスの広大な放牧場――まだ20世紀にならない頃の話である。 飼っている牛の数は大した事はないが、それでも、見回るのに、たっぷり二日は掛るのだ。
 家の近くに来た時は、もうすっかり夜になって、星がまたたいていた。 だが家の中は真暗らしく、2人を迎える明りも見えない。不安がヘイサーたちを捕えた。 2人は馬がこいに、そっと馬を置くと忍び足で、入口に向った。2人が中へはいると、 沢山のローソクが一度についた。
「誕生日おめでとう、クリント」
 人々の歌声と笑いが、2人の不安を忽ち吹きとばした。クリントたちの父サム・パートン、 その妻ネディを初め、ここから10マイルほどのところに住むハワード一家の、 若い娘ドロシーとその兄のトムとウィル、そして、ハワード家よりまだ遠い所にある、 クロシングと呼ばれる開拓民部落から来たアンガス・ピアースと、その妹ロズリン。 それらの人々の祝いの言葉に、クリントは、何度も嬉しげに、うなづいた。 特に彼はまだ婚約こそしていなかったが、ロズリンとの仲は、人々からも認められていたのだ。
 人々は歌い、踊り、充分に楽しんでから、食事を始めた。ネディの手料理だった。
「全く奥さんの料理は大したもんだ」――トム・ハワードが語った。「これなら、白人とちっとも変らない」
 ほんの一瞬だが、気まずい空気が流れた。サム・バートンの後妻ネディは、 カイオワ族のインディアンだったのだ。だから、先妻の子であるクリントは白人だったが、 弟のペイサーは混血だった。結婚して20年以上にもなる。その間に人々もネディの 出身を気にしないようになっていたが、トムの不用意な言葉が ・・・  (101分)

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