史上最大の作戦<The Longest Day> (62年) |
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<スタッフ> 製作総指揮 監督(イギリス側) (アメリカ側) (ドイツ側) 原作 脚色 撮影 美術 作曲・指揮 主題曲 編曲 |
ダリル・F・ザナック ケン・アナキン アンドリュー・マートン ベルンハルト・ピッキー コーネリアス・ライアンの 「いちばん長い日」より コーネリアス・ライアン ジャン・プールゴアン アンリー・ペルサン ウォルター・ウォティス テッド・アウォース ビンセント・コルダ モーリス・ジャール ポール・アンカ ミッチ・ミラー |
<キャスト> アメリカ レンジャー特別遊撃隊員 フラー軍曹 アーサー・シェルツ一等兵 レンジャー特別遊撃隊員 レンジャー奇襲部隊員 ロバート・ヘインズ少将 レンジャー奇襲部隊員 ベンジャミン・バンダブーアト中佐 ノーマン・コータ准将 シオダー・ルーズベルト准将 ジェイムス・M・ギャビン准将 駆逐艦長ビーア中佐 シーン中尉 ハーディング大尉 ウィルソン中尉 フランス大尉 ジョン・スチール一等兵 マーティニ一等兵 レイモンド・O・バートン少尉 |
ロバート・ワグナー ジェフリー・ハンター リチャード・ベイマー ポール・アンカ トミー・サンズ メル・ファラー フェビアン ジョン・ウェイン ロバート・ミッチャム ヘンリー・フォンダ ロバート・ライアン ロッド・スタイガー スチュアート・ホイットマン スチーブ・フォレスト トム・トライオン レイ・ダントン レッド・バトンズ サル・ミネオ エドモンド・オブライエン |
アイゼンハワー大将 モリス一等兵 トム・ニュートン大佐 ウォルター・ペテル・スミス少将 ジョー・ウィリアムズ イギリス パーカー准将 コリン・モード大尉 ジョン・ハワード少佐 イギリス空軍将校 イギリス空軍将校 ロバット卿 イギリス従軍牧師 フラナガン一等兵 ドイツ グンター・ブルメントリット少将 エルウィン・ロンメル元帥 ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥 オッカー中佐 カフィークラッチュ軍曹 |
ヘンリー・グレイス ロディ・マクドウォル エディ・アルバート アレキサンダー・ノックス ロン・ランデル レオ・ゲン ケネス・モア リチャード・トッド リチャード・バートン レスリー・フィリップス ピーター・ローフォード ジョン・グレッグソン ジーン・コナリー クルト・ユルゲンス ヘルナー・ハインツ パウル・ハートマン ペーター・バン・アイク ゲルト・フレーベ |
1944年6月4日未明、パリ・ノルマンディの中間、セーヌ河の鸞曲部にあるドイツ西部軍B師団司令部で、
司令官ロンメル元帥は休暇をとって家族のもとへ帰ろうとしていた。連合軍の大陸侵入作戦が迫りつつあることを知らないわけではなかったが、
かつての北アフリカ上陸、シシリー島上陸の例からも、ここ数週間は上陸可能な気象状況ではなかった。
事実ドーバー海峡は風速50メートルという30年ぶりの暴風雨に襲われていたのであった。
ドイツ側は連合軍の上陸を阻止する装備はできていたし、特にロンメルが上陸を予想した海岸の防御陣地の構築はすでに完壁なものであった。 同じ日、海を越えた南部イングランドで3百万に近い連合軍を指揮するアイゼンハワー最高指揮官は、 いよいよ上陸作戦の日(D・デイ)を決定しようとしていた。おそい月の出と夜朗け直後の干潮が絶対の条件であり、 それをみたすのは6月5・6・7日の3日間しかなかった。 1度決定していた5日は取消され、残るは6日・7日の2日間であった。さらに延期するとすれば、19日か、 あるいは7月まで待たなければならなかった。そこで最高首脳部会議は気象部員からの詳細な報告にもとずき 6月6日には必要とされていた最低限の条件よりは悪いが、比較的おだやかな天気がともかく24時あまりの間だけ続くことを知り、 ついに6日をDデイとする最後決定を下した。 フランスのレジスタンス向けのラジオによる上陸作戦開始の暗号はべルレーヌの有名な詩「秋の歌」の朗読であった。 これはドイツ側も予め知っていたのである。ドイツ第15軍情報部でもこの電波をキャッチし、直ちこ総 司令部のジョードル大将に連絡したが、 何故か、これが |
ヒトラー総統の耳に入らなかったのである。
イギリス基地を発した5千隻からなる大船団はノルマンディへ南下を開始し、午前零時15分、 カナダ空挺部隊のオルネ河流域降下から上陸作戦の火ぶたは切って落され、続いてアメリカ空挺部隊のサント・メール・エグリース村附近へ降下した。 海上からの攻撃開始は午前5時30分、その30分ほど前になってパリにあるドイツ西部軍総司令部はやっと上陸作戦をさとったが、 彼等はイタリア戦線からの北上を重視するあまり、牽制攻撃にすぎないとしか考えなかった。情婦エバ・ブラウンの側にあった ヒトラー総統に連合軍上陸の第一報が伝えられたのは5時間後であり、ヘルリソゲンの自宅にいたロンメルが知ったのも10時15分になってからであった。 連合軍は、あらかじめノルマンディ海岸を南からユタ、オマハ、スオード、ジユノー、ゴールドの5つの海岸に区分し、上陸作戦を分担した。 アメリカ軍はユタとオマハ海岸を受けもち、イギリスとカナダ軍はスオードとジュノーとゴールド海岸を引きうけた。 ユタ海岸一番乗りを敢行したのはアメリカ第4兵団の部隊で、時刻は午前6時半であった。近代戦史にこれ以上の強力なものはあるまいといわれたさしもの防御陣地も、 判断をあやまった支離滅裂な作戦会議のためにはとんど無用の長物と化した感があったが、激浪に苦しめられて上陸して来た連合軍将兵を 海岸に釘づけにして多大の損害を与えた。しかしパラシュートとグライダーによる連合軍の降下部隊は内陣深く侵入し、 上陸用舟艇はノルマンディの海岸線をおおいつくした。 かくてロンメルが、いちばん長い日となろうと云った連合軍の上陸作戦の第一段階は終るのであった。 (180分) |