戦場にかける橋

<The Bridge On The River Kwai>   (57年)

<スタッフ>
製作
監督
脚本

原作
音楽
撮影

<キャスト>
シアーズ
ニコルスン中佐
ウォーデン少佐
斎藤大佐
クリプトン少佐

サム・スピーゲル
デヴィッド・リーン
カール・フォアマン
マイケル・ウィルソン
ピエール・ブール
マルコム・アーノルド
ジャック・ヒルデヤード


ウィリアム・ホールデン
アレック・ギネス
ジャック・ホーキンス
早川雪洲
ジェームズ・ドナルド
 今次大戦下、泰緬国境にほど近い日本軍捕虜収容所を主要舞台に、苛烈な戦場に追い込まれた英・米・日 3国将士の凄じい意志と闘争を描いたもので、破壊的戦争のさなかに燃えあがる建設の歓びを強く謳歌する とともに、血みどろな闘争の果てに一切を潰滅し去る戦争の狂気さを訴えた野心作である。
 アカデミイ賞に輝く「波止場」等の傑作を製作したサム・スピーゲルが、フランスの作家ピエール・プウ ルの小説「クワイ河の橋」の映画化を思い立ったのは、今から3年前のことであったが、監督にデヴィッド・ リーンの起用を決定するとともに、1年間を要して脚本を作製、56年11月よりセイロン島において、約 半年間におよぶ長期ロケを敢行して製作した超大作である。
 この作品は、日本軍捕虜収容所を背景としたものだけに、わが国での反響も充分に考慮し、脚本作製の際 から慎重をきし、たとえば収容所長である自本軍大佐の捕虜酷使という点でも、戦争という異常な環境に押 しこまれた人間のやむを得ざる義務として行動させ、単なる悪役としては描いていないのである。また製作 の大塊模な点でも画期的なもので、この映画で重要な役割を果たす橋梁は実際にセイロンに建設されたもの であるが、ハリウッドが建設したオープン・セットのなかで最大のものであり、しかもこの橋梁に本物の汽 車を走らせて爆破したのである。
 脚本は、原作者のビエール・プウルが執筆。監督のデヴィッド・リーンは「幸福なる種族」「逢びき」「旅 情」等、数多くの傑作を放った英国の名匠としてあまりにも高名であるが、ここにまた、卓抜な演出力によ って、凄じい迫力と空前の感動を盛った傑作をつくりあげたのである。撮影は「旅情」「追想」等の名手ジ ャック・ヒルデヤード、音楽は「愛情は深い海のごとく」のマルカム・アーノルドがそれぞれ担当している。
 主演は、アメリカから「ピクニック」のウイリアム・ホールデン、英国より「白鳥」等の名優アレック・ ギネス、「ピラミッド」のジャック・ホーキンス、日本より早川雪洲という多彩な顔ぶれをそろえている。
 <物語> 1943年、大東亜戦争のさ中の事である。ビルマ国境に近いシャムの深いジャングルの中に日本 軍の捕虜収容所があった。そこへあらたに一隊の英軍捕虜が送られてきた。隊長はニコルスン中佐と いう。一生を印度軍の軍人として送ってきた頑固極まる典型的な軍人である。収容所の隊長は斎藤と いう大佐で、僅かの部下で、乏しい給与に耐え乍ら、捕虜を使用して、タイ緬鉄道の建設に従事して いる。収容所のある盆地の近くをクワイ河が流れている。そこに5月12日迄に橋梁を建設せよ、と いうのが馬来派遣軍司令部から斎藤大佐に課せられた至上命令だった。従来いた捕虜たちは悪疫に倒 れ、残るはシアーズという米海軍少佐と、オーストラリア兵のウィーバーだけになっていた。
 斎藤大佐は新しい英軍捕虜の到着と同時に早速翌日から現場で働く事を彼らに命じた。兵卒は勿論、 将校も労役に服すべしというのである。ニコルスンは、ジュネーブ協定で、将校俘虜は労役に使用し ない事になっている事を指摘したが斎藤は一言の許にこれを拒否した。部下をひきいておめおめ虜囚 の恥かしめも受ける者は、も早武人とは云えない。兵卒並に労役につけというのである。日は限られ ている。労働力は足りない。斎藤はそこ迄追いこまれていた。然しコルスンは協定を楯にとってあ く迄肯んじない。ニコルスン以下の将校はついに営倉入りを命じられた。  普通の捕虜の場合は脱走を図るのは当然の事であるが、ニコルスンは彼らを戒しめた。「我々はシン ガポールで最高司令官から降伏を命ぜられたのだ。ここはジャングルで、たとえ脱走しても万に一も 肋かる見込はない。而も脱走することは命令違反になる。脱走は許さぬ」
 然し、シアーズはウィーバーと語らって脱走、シアーズは射たれてクワイの激流に姿を消してしま った。
 将校のいない兵卒は軍紀を失ってしまう。彼らはもはや只の奴隷に過ぎなかった。工事は全然進ま ない。斎藤の焦慮は深まるばかりだった。彼はそれを英軍捕虜のサボタージュと見た。この上は傷病捕虜も狩り出さねばならない。 ・・・  (155分)

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