シベリヤ物語<Сказание о земле Сибирской>
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<スタッフ> 監督 脚本 撮影 音楽 <キャスト> アンドレイ・パラショフ ナターシャ・マリーニナ ヤーコフ・ブルマック ナスチェンカ・グセンコワ |
イワン・プィリエフ エフゲニー・ポメシチコフ ニコライ・ロージコフ ワレンチン・パウロフ ニコライ・クリューコフ ウラジミル・ドルージェコフ マリーナ・ラドィーニナ ボリス・アンドレーエフ ウェラ・ワッシリーエワ |
ソ連モスフイルム1947年製作天然色音楽映画。同年プラーグ国際映画コンクール第1賞。
これが「石の花」についで、1948年公開されるや、全国にわたり圧倒的に支持され、
ソ連映画として空前の当りをとった。 一
それまでの「音楽映画」が、音楽家のヒロイックな生涯やロマンスを追った伝記的作品で あったのが、この映画では、民衆とともによろこび、民衆のなかて民衆の感情とともに生活 する、新しい芸術家のタイプを描いた。それがこの映画の特長であり、この映画が 戦後の荒れ果てた日本人の心に歓迎されたのである。 この映画の主題歌となっているシベリヤの民謡「バイカル湖のほとり」や「シベリヤ大地の歌」 は、日本中に愛唱され、その後のうたごえ運動が発展する、一つのきっかけともなったのである。 イワン・プィリエフはシベリヤ出身(オビ河畔で生れた)の監督で、オベレッタ風の映画を 多く監督しており、わが国には、この作品の前に「コーカサスの花嫁」が公開され、 その後の作品には「クバンコザック」(50年、末輸入)がある。 ラドィーニナも、シベリヤ出身(もとシベリヤのアチンスクで教師をしていた)。 プィリエフの全作品に出演し、プィリエフの協力者であるとともに、プィリエフ夫人でもある。 ソ同盟功労俳優。 ドルージェコフはモスクワ芸術座で学び、わが国では「石の花」で招介された。アンドレーエフは、 労働者出身、プィリエフに見出されて映画人りし、わが国には「ベルリン陥落」で知られる。 |
ワッシリーエワは、当時モスクワ劇場技術学校の3年生であったのを、プィリエフに見出されたのである。 <物語> ベルリン攻撃の前夜、モスクワ高等音楽院出身のアンドレイ・バラショフ中尉は、 ピアノに向っている。すると突然大爆撃がはじまり、アンドレイは、ピアニストにとっては生命である左手首に傷をうけてしまった。 やがてドイツが降伏して戦争も終り、アンドレイは、かっての学友たちの音楽会場に復員してきた。しかしいまの彼には、 一同のあたたかい出迎えも、恩師イゴーニン教授の熱心なはげましもむだであった。恋人ナターシャとの未来にも希望がもてず、 彼はすべてをあきらめて、遠くシベリヤの奥地に向う。彼のふるさとの地シベリヤに新しく製紙工場が開かれる。 彼はそこで製図工として更生しようと決心したのである。 シベリヤの広野を流れる悠久の大河、そして、クルパカンの料亭。彼は素朴な民衆の心にふれ、民衆とともに歌った。 料亭で働いているナスチエンカにもめぐりあった。もとアンドレイの中隊の衛生軍曹だった彼女は、ひそかにアンドレイを思いつめる。 ところが飛行場の運転手をしているヤーコフはナスチェンカに恋いこがれている。 美しい民謡がアンドレイの傷いた心をゆり動かし、彼は毎夜のように、心にうかぶモチーフを書きとめていった。 そのころ、ナクターシャを中心とした、アメリカのコンクールに向う一行が、飛行機の不時着のため、 アンドレイの仮住いの料亭とも知らずに到着した。・・・ (114分) |