ドン・キホーテ

<Don Quixote> (57年ソ)

<スタッフ>
監督
脚色
原作
撮影

音楽

<キャスト>
ドン・キホーテ
サンチョ・パンサ
アルドンサ


グリゴーリ・コージンツェフ
E・シュワルツ
ミゲル・デ・セルバンテス
アンドレイ・モスクヴィン
アッポリナリー・ドゥドコ
K・カラーエフ


ニコライ・チェルカーソフ
ユーリー・トルベーエフ
L・カシャノワ

 ソビエト最初のシネスコ型キノスコープ" 大作である。
 シェイクスピアの「オセロ」(モスフィルム1956年作品)についで、ソビエト映画が、 再び世界文学の古典と四つに取組んだ、本格的な文芸映画である。
 原作は、17世紀のスペイン作家、ミゲル・デ・セルバンテス(1547−1616)の「ドン・キホーテ」 (正編・続編)である。 この主人公は、狂気で、時代にもとり残されながら、人間や社会の退廃に反旗をひる がえして行動した。さげすまれ、からかわれて、失敗の連続ながら、世のため人のため一身を投げ出した 厳粛な精神が、広く各国の読者をとらえ、この書を不朽にし、近代長編小説の始祖といわれる傑作 となった。
 トン・キホーテは、高い理想そ追う勇敢な人物である。サンチョ・パンサは現世的 欲望に強い小胆な人物である。この性格の対比が、原作の喜劇らしい味を作っている。 この映画では、主従2人のそうした喜劇的なものをおさえ、膨大な原作から、いくつ かのエピソードを引き出し、その一つ一つを、綿密、細心に演出する方法をとった。 これは、原作の精神を現代に生かし、密度のある映画「ドン・キホーテ」を作りだすための 製作態度であった。
 幻想を追うドン・キホーテの清らかな瞳は悲しみに満ちている。サンチョ・パンサも 現実的でありながら、それ相応の空想家である。この映画は、盾の半面のような二つの別個の性格が、 表裏を補うようにして、一つの性格を強調し、その純粋な魂をくっきりと描いている。そして、ずるがし こく、よこしまな人間世界とドラマチックに対決する。
 監督は「マキシム」三部作で知られる大物監督の一人グリゴーリー・コジンツェフである。 (「マキシム」三部作とは、コジンツェフが、エリ・トラウベルグと共同で脚本、監督した 「マキシムの青年時代」「マキシムの帰還」「ヴィボルグ地区」で、1907年から17年までの革命時代の ロシア人をえがいた物語。)
 <物語>  スペインは、ラ・マンチャのさる村に、型のごとき騎士がいた。騎士物語を読みふけっをあげく、 気が変になって、自分も今から遍歴の騎士となり、冒険をもとめに乗りだし、世間の難儀 を救い、物語にあるごとき功名を立てゝ不滅の誉を得ようと思い立った。
 まず、先祖のヨロイ、カブトを持し出し、やせ馬にロシナンテと名をつけ、自分も、 ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと、騎士らしく名乗り、アルドンサ・ロレンソなる小ぎれいな百姓娘を、 全身全霊を捧ぐベき思い姫ときめ、その名もドニャ・ドゥルシネーア・デル・トポーゾと、勝手に変えた。
 最後には、近所の、女房も子供もある、サンチョ・パソサという気のいゝ小作人を、 やがて占領する島の領主にしてやるとかき口説いて、従士に仕立てた。苦心して修理したカブトは、 試し切りであっけなくこわれてしまった。
 こうして、ある夏の暁方、ひょろ高い身にヨロイを着たドン・キホーテが、やせ馬にまたがり、 太っちょのサンチョ・バンサが、ちょこんとロバに乗って、首尾よく村を抜け出した。
 時は17世紀、武者修業の時代は、遠い昔の語り草であった。しかし、キホーテはそれに屯着しない。 まず、百姓男に虐待される羊番の少年を救って、彼ほ大満悦だが、救いっばなしで行かれてしまった少年は、 一層ひどいせっかんをうけた。
 次には、旅の貴婦人の馬車と、従者四、五人が乗馬姿で通りかゝった。キホーテは、悪者が姫君をかどわかするものと、 早がてんし、大音声に、ヤリをしごいて、うちかゝって行った。従者たちは仰天したが、 車中にいた公爵家の姫君アルチシドラは、すっかりうれしくなり、キホーテという人物に、いたく典味を持った。
 キホーテの家には、若いめい(姪)と家事婦のばあさん、それに神父さんと床屋の 親方などが額を集めて気をもんでいた。キホーテのうわさは刻々と流れてきたり羊の軒を大軍夢とまちがえて、・・・      (106分)

inserted by FC2 system