処女の泉

<Jungfrukallan>   (60年典)

<スタッフ>
監督
脚本
撮影
美術
音楽
編集

<キャスト>
父テーレ
その妻メーレタ
養女インゲリ
娘コーリン

イングマル・ベルイマン
ウラ・イサクソン
スヴェン・ニクヴィスト
P・A・ルンドグレン
エリク・ノルドグレン
オスカル・ロザンダー


マックス・フォン・ジドウ
ビルギッタ・ヴァルベルイ
グンネル・リンドプロム
ビルギッタ・ペテルソン
 北欧スエーデンが世界に誇る名監督イングマル・ベルイマンの1960年作品。 同年夏のカンヌ映画祭で国際映画批評家協会賞を受け、アメリカ最高級の週刊誌「タイム」が 同年度の外国映画最優秀作品の一つに選び、各国の新開・雑誌や団体から 続々とベスト作品として推賞されている。
 同時に、この映画は、少女を犯すシーンが余りに写実的という理由で、各国で問題を起し 有名になった。カンヌ映画祭では、席をけって退場した名士もいたし、ドイツのミュンヘンで 封切された時には、区裁判所がこのシーンを差押えてしまった。ところが、 そのカンヌ映画祭では賞を受けたし、ミュンヘンでは上級の地方裁判所が、区裁の判決を取り消して 公開を許可した。共にこの映画の高い芸術性を認めたからである。
 各国とも検閲でこのシーンはハサミを入れられる憂き目にあったが、それに対して、 批評家やジャーナリズムが猛然と抗議した。  ビルギッタ・ペテルソンが扮する処女コーリンは、輝やくばかりに美しく清潔な少女である。 コーリンは中世北欧の澄み切った早春の空の下を、一頭の駿馬に打ち乗って、 花咲く湖のほとりを旅に出て行く。ここの撮影のすばらしさは言語に絶するが、 突如としてドラマは急転回し、コーリンは流浪の旅をする3人の羊飼いに襲われ、犯され、殺される。 娘の非業の死を知った父親は、3人を次々と打ち倒す。復讐を終えた両
親が、 野辺のコーリンのなきがらを抱き上げると、その下からは清らかな泉がほとばしり出て、 永遠に尽きることがなかった――。
 日本の郷土のどこにでも語り継がれていそうな民話を原作としているだけに、日本人の誰にでも 共感される親しさがある。ベルイマンは、前に黒沢明の「羅生門」を見て大きなショックを受け、 この作品の着手前に「今度はクロサワで行こう」と語ったと言うが、その意味でも特に我々に興味がある。
 しかもベルイマンがこの映画で語ろうとしたものは、人間の情熱の凄まじさと、 その空しさであり、「人間――この美しく、また醜いもの」という思いであったろう。 三楽章のシンフォニー、三幕物の古典悲劇に匹敵する生命力に満ち満ちた映画詩である。
 ベルイマンの作品は、各国の映画祭で賞を一番多く得ており、「グランプリ男」の 異名すらがある。日本で公開された作品は「愛欲の港」「不良少女モニカ」「夏の夜は三たび微笑む」 「女はそれを待っている」の4本である。
 「処女の泉」は13世紀スエーデンの民話、そしてその民話(バラード)の 「ヴェンデのテーレの娘」から「女はそれを待っている」と同じくウラ・イサクソンが脚色した。 俳優の多くは、ベルイマンが主宰しているマルメ一市民劇場の舞台出身である。 ・・・
    (92分)

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