僕の村は戦場だった<Иваново детство> (62年露)Ivan's Chaildhood |
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<スタッフ> 監督 原作 脚本 撮影 美術 音楽 編集 <キャスト> イワン ホーリン大尉 ガリツェフ中尉 |
アンドレイ・タルコフスキー ウラジーミル・ボゴモロフ ウラジーミル・ボゴモロフ ミハイル・パパワ ワディム・ユーソフ E・チェルニャーエフ X・オフチニコフ E・スミルノフ コーリヤ・プルリヤーエフ V・ズブコフ E・ジャリコフ |
あのいまわしい戦争が終って18年がたちました。しかし、その傷あとほ深く人の心に刻みこまれています。
この映画の主人公イワン少年は、家を失い、肉親を失い、そして、あまりに若い生命の灯までを 戦火の中に消してしまいました。けがれのない彼の瞳は二度とふたたび見ることはできないのです。 もし、戦争さえなかったら……。イワンを知り、愛した人々は、誰しもそう思ったことでしよう。 この映画は30才の新鋭監督アンドレイ・タルコフスキーがイワン少年への限りない愛情をこめて えがいた戦場の詩(うた)です。小さな胸に敵への憎悪をもやして危険をかえりみない少年。その少年に 深い愛情を抱く戦士たちの悩み……。おそらく、イワンはひとりの特殊な少年ではありますまい (イワンとは昔からロシアの最も一般的な名前です)。作者は戦h争に少年時代を奪われたすべての少年、そして、 その少年を愛するすべての人間たちをえがこうとしたに違いありません。実際、ここには、いまゝでの ソビエト映画には見られなかった新鮮な人間性の発見があります。しかも、それが、画面のリリックな 美しさとともに、人間の意識そのものをとらえようとする意欲的な試みによってえがかれていることは 注目すべきことでしょう。 原作は59年に出版されて、世界的な反響をまきおこした短篇小説 "イワン" 。 "ウラジーミル・ボゴモロフ" が自分自身の休験にもとづいて書いたこの小説は、すでに38カ国語に訳されています。 監督のアンドレイ・タルコフスキーは、60年に国立映画大学を卒業、長篇作品はこれがはじめてという新人ですが、 この感動的な物語を映像によってみごとにえがき上げたのです。 この映画は62年のペニス映画祭に出品されて、最高の栄誉であるグランプリを、 さらに同年のサンフランシスコ映画祭では監督賞をそれぞれ授けられて、新鋭タルコフスキーの名を一躍、 世界的なものにしました。 イワンを演じるコーリヤ・プルリヤーエフ少年はモスソビエト劇団に所属する少年俳優で映画にも、 すでに2本の作品に出演しています。 | <梗概>
陽光がさんさんとふりそそぐ、あるひるさがり…。美しい緑にかこまれたこの静かな村は、
イワンが生まれ育ったところだ。母親は水を汲みに、イワンは森の中に蝶を追い、カツコーの姿を求めてかけまわる……。
「お母さん!」 イワンが叫んだそのとき、彼はわれにかえった。夢だった。 戦争なのだ….。 いまも夢に見た美しい故郷の村は、戦火にふみにじられ、母親も妹も行方不明。国境警備隊貝だった父親も 戦死してしまった。ひとりとりのこされた12才のイワンが、危険をおかして敵陣に潜入し、少年斥候として 友軍に協力しているのも、自分の肉親をうばったナチ・ドイツ軍への憎悪からである。 彼はいま、ドイツ軍の占領地域で偵察を終って、広い川を泳いで対岸にたどりついたのだ。つかれ果てて、 ふとまどろんだ少年…。しかし、戦争は彼をいつまでも甘い夢にひたらせておいてはくれなかった。 やがて友軍の兵士に発見された少年がつれてこられたのは、若い士官ガリツェフ上級中尉の許だった。 が、イワンは何を聞かれても返事をしようとはせず、司令部に連絡をとってくれというばかりである。 仕方なく司令部に電話をかけたガリツェフは、はじめてその少年が重要な任務を帯びていることを知った。 司令部のグリヤズノフ少佐の命令に従って、ガリツェフは、その場で少年に暗号報告を書かせた上、風呂に入れ、 食事を与えて、自分の寝台に寝かせてやった。あどけないの寝顔。イワンはまたやさしい母の夢を見る。 司令部から、イワンをひきとりに、ホーリン大尉がやってきた。司令部のグリヤズノフ中佐、ホーリン大尉 そして古参兵カタソーノフの3人がイワンのいわば親代り″なのだ。イワンの帰りを迎えに出たカタソーノフが、 まだ帰らないのと案じながらも、ホーリンはイワンを抱き上げて再会をよろこぶのだった。 ホーリンは司令部を出るときグリヤズノフ中佐から命令を受けていた。・・・ (95分) |