1952年から53年にかけて西半球における多くの国の映画界に、
最も大きなショックを与え、それらの国の映画ファンを異常な興奮のうずまきの中に
投げ込んだスエーデン映画。
わが国においては、この映画の公開が禁止され、またある国では映画の中で
最も純粋な感銘を受けるべきシーンが削除されたために、あるがまゝの姿で
公開されなかった。
このような各国の検閲機関の鋏の音に驚いたこの映画の製作者は、
急速、問題となった場面を、三つのABC角度から撮影し、芸術的良心に逆らって、
これを本編に追加した。
即ちAのシーンは、人間の極めて自然ありのまゝの姿態が広い角度を以て写され、
Bのシーンは、その角度が狭くなり、さらにCに至っては、もう平凡で、いかなる
邪心を以ってしても、鋏を入れる理由の発見に苦しむという構図であった。
製作者は、この三種のシーンのうち、どれが上映されたかによって、その国の
人々が享けている自由と幸福の幅を計る尺度としていたのであろう。
ノーベル賞で名高いスエーデンの首都ストックホルムで、52年5月に公開された
こあ映画は、続映続映でいつ果てるとも予想がつかないほどの盛況で、
続映の大記録をたてた。これが全ヨーロッパの評判となり、ベルリンでも前代未聞となった。
原作は、ペロルフ・エーストロームの小説「ある幸福な夏」。
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過ぎ去ったことの思い出は、みな美しく楽しいと、人はいう。悲しかったこと、
痛ましかったこと、心に残る傷寝も、過ぎ去って見れば、時のヴェールに隔てられて、
すべて美しく楽しいと、人はいうのであろう。
しかし、19歳の多感な学生ヨーランが受けた心の傷手は、深く生々しい傷痕を残して、
生のある限り消え去るものとは思われない。
17歳にして散ったチェースチンの葬儀に参列した人々の無言の抗議と、祈りを捧げる
牧師のとげのある言葉に、新たなる悲しみをこらえかねたヨーランは、逃げるように
その場を去って、想い出の湖畔に佇めば、葦の葉末を渡る風の音が、いつしか、
あの懐かしいチェースチンの声に変ってゆく・・・・・。
冬の長いスエーデンの人々が待ちに待っている夏がやって来て、ヨーランは学校を卒業した。
ヨーランは、この夏を田舎の叔父パーソンの農場で過そうと、愛用のオートバイを走らせた。
叔父の家は、叔母はすでに亡く、婚期を逸した1人娘のシーグルッドと2人きりで、
都会の甥をわが子のようにもてなした。
ヨーランは、村の17歳になるチェースチンと知り合いになり、2人はたちまち親しい友達となった。
村には多くの逞しい青年や美しい娘がおり、彼らは、休日にはダンスやスポーツに青春の
はけ口を見出し、旧い倫理や冷たい宗教には余り関心を持たなかった。
・・・・ (2587m、95分)
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