恐怖の逢びき<Muerte de un Ciclista> (54年西) |
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<スタッフ> 製作 監督 脚本 台詞 撮影 音楽 <キャスト> ジョゼ・マリ ピエール ミシェル ラファ マルチド |
マニュエル・J・ゴヤネス ファン・アントニオ・バルデム ルイス・F・デ・イゴア ファン・アントニオ・バルデム アルフレド・フライレ イシドロ・マイツェギイ ルチア・ボゼー アルベルト・クロサス オテロ・トソ カルロス・カサラヴィリア ブルナ・コラ |
「恐怖の逢びき」(原名「自転車乗りの死」)は、1955年力ンヌ国際映画祭に出品されて
国際批評大賞の栄をかち得、スペイン映画の面目を、全ヨーロッパに誇った作品である。 監督のファン・A・バルデムは34歳の若冠であるが、映画のピカソと称せられている天才監督で、 1953年度カンヌ国際映画祭においても『ようこそ!マーシャルさん』によってユーモア賞を受賞 している人である。 ヨーロッパの映画界において、今日迄 "知られざる国" であったスペインから、「恐怖の逢びき」 のような、大胆極まりない映画の生まれたことは、駕異というほかはなく、全ヨーロッパ映画界に センセイションを巻き起こし、パリにおいては、目下大好評のうちにロードショウ上映が続いている。 姦通は映画で最も多く扱われるテーマの一つであるが、不倫の恋に溺れきった男女の偽善と恐怖を、 これ程までに鋭く、深く追及した映画はかつてなかった。 密会の帰途をいそぐ自動車が、マドリッド郊外の路上で自転車に乗つた男をひく。 ひかれた男は瀕死の重傷ながら病院に運べば一命はとりとめたかも知れない。 しかし、秘密の関係の曝れるのを怖れた男女は、犠牲者を見捨て逃れ去る。 目撃者はいなかったが、その後の2人は不安にとり付かれ、恐喝に卑びえて、愛し合う事が出来ず、 離反してゆく。そして遂には想像をこえた悲劇までに追いこまれる。恐怖に追われる時、 どんなに恐ろしい衝動が女の心に芽生えるか、人間心理の緊迫したドラマを、 この作品は異常な緊張とサスペンスの連続によって描いて居り、表現手法の大胆さ、 人間心理の鋭い描写は、傑作と呼ばれる価値を充分に示している。 主演者は、今日迄に「オリーヴの下に平和はない」(イタリア映画)しか出演作品が公開されていない、 イタリア映画界の明星ルチア・ボゼエ。彼女のその神秘的で陰影のふかい美貌は、 女主人公の悲劇を一層痛ましく |
感じさせる。
前作の「オリーヴの下に平和はない」をしのぐ演技で観る者を魅了せずにはおかない。
彼女の相手役はスペイン映画界の第一人者で、アルゼンチン映画にも活躍した事もある
名優アルベルト・クロサスである。
台詞も監督のフアン・A・パルデムが担当し、音楽はイシドロ・マイステギ、 撮影はアレフレド・フラレイ、装置をエンリケ・アラルコンと それぞれスペイン一流のスタッフが担当している。 <物語> マドリッド郊外の或る淋しい道路上――矢のように疾走して来た自動車が、 偶然自転車をひきたおしてしまった。急ブレーキをかけて自動車から降り立った若い男女が、 今自分達がひきたおした自転車の方にかけ寄った。 自転車は目茶目茶になっていたが、ひかれた男はまだ生きていた。 だが彼等2人は、今にも死にそうなこの男を見すてて、再び自動車に乗って 立ち去ってしまった。 この若い2人の男女の名前は、男をピエールと云い、女はジョゼ・マリと云つた。 この2人は人目を忍ぶ逢びきの帰り道だったのだ。道ならぬ恋の奴隷の2人にとって、 世間に彼等の事が知られる事を恐れての結果である。ひき逃げの現場に人影は見えなかったが、 果して本当に目撃者はいなかったであろうか?………………‥… ところが、彼等が恐れている事件が巻き起った。彼等2人を憎んでいたラフアと云う男が、 その日の夕方に、ジョゼ・マリが若い男と郊外をドライブしているのを見たと意味ありげに ジョゼ・マリに語った。ラフアのこの言葉の影には、いったいどんな意味がひそんでいるのであろうか、 恐喝であろうか? それとも彼女の肉体であろうか? ジョゼ・マリは恐しい不安におそわれた。 それ以来、ラフアはしっつこく彼等2人につき纏つた。ラフアの恐喝におびえた ジョゼ・マリとピエールの2人は、彼がどのような秘密を握っているのか知りたいとあせった。 ・・・ (88分) |