私は死にたくない<I Want to Live !> (58年) |
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<スタッフ> 製作 監督 撮影 音楽 <キャスト> バーバラ・グレアム エド・モンゴメリイ ペッグ パルムバーグ |
ウォルター・ウェンジャー ロバート・ワイズ ライオネル・リンドン ジョン・マンデル スーザン・ヘイワード シモン・オークランド ヴァージニア・ヴィンセント セオドア・バイケル |
この映画はカリフォルニア州に於ける歴史中、最も世論を湧した、犯罪捜索事件を、調査、法廷速記、
目撃者とのインタヴュー就中最も貴重なものとして被告バーバラ・グレアムがサン・クウエンティンの死刑囚監房から
書いた部厚い手紙の束などを、丹念に調査した記録に基いて映画化した、セミドキュメンタルな作品である。
この映画を製作したのは、「裸足の伯爵夫人」や「静かなアメリカ人」と云った問題作を世に送った、 ジョセフ・L・マンキーウッズ監督主宰のフィガロ・プロである。 製作者は、古くは「駅馬車」、近くは「第十一号監房の暴動」を手がけたベテラン、ウォルター・ウェンジャー。 監督は、「重役室」「深く静かに潜航せよ」の敏腕ロバート・ワイズである。 主役バーバラ・グレアムを演ずるのは「明日泣く」の名女優スーザン・ヘイワードで、彼女はこの作品に 異常な熱意を持ち、製作に当ってフィガロ社に、パートナーとして名を連ねている。 この作品は単なる法廷ものではなく、現在に至るまで、多くの疑問が残されている事実を公表し、 社会に訴えようという意図の下に作られたものだけに、脚本の作成には万全が期された。脚本は、 サンフランシスコ・エグザミナー紙で、バーバラ・グレアム事件を担当報道し、死刑の判決後獄中にグレアムを再三訪れ、 遂に彼女の無罪を確信するに至った第一流の事件記者エドワード・S・モンゴメリーの資料を基に、法廷記録やグレアムの 個人書簡などを参照し、ネルソン・ギディングが脚色した。 なお、モンゴメリーの手記はピュリッツア賞を獲得している。 助演陣にはニューヨークの舞台及びテレビの一流演技者が顔を連ねている。 尚この映画の冒頭には、フランスのノーベル賞作家として高名なアルベール・カミュの次のような献辞が贈られている。 「この映画に描かれた非常な物語は、しかし真実の物語である。全世界の人々はこれを見、これを聞かねばならない。 ここには我々が生きる時代の現実がある。そしてそれを無視する権利は我々にはないのだ!」 |
<物語>
1953年3月9日夜、62才の破の老寡婦マーベル・モノハンがカリフォルニア州パーパンクの家で惨殺された。
警察の捜査は成功裡に進められ、5月3日、リンウッド・アパートの3人の住人が逮捕きれた。 札つきの前科者エメット・パーキンスとジャック・サントの2人がモノハン殺しの疑いで、もう1人バーバラ・グレ アムという名の30才の金髪の美人が、浮浪、売淫、偽証の理由で捕えられた。 警察本部で、バーバラ・グレアムは2組の刑事団から、2時間にわたって取調べを受けた。バーバラは、最初から無実を主張し、 3月9日夕方は家にいたと言い張った。彼女は、取調べに際し、その夜のことについては、はっきりした記憶を持っていた。 何故なら、その夜彼女の夫ヘンリー・グレアムが、烈しい言争いの後、彼女を棄てて飛び出したからだ。 バーバラ・グレアムが逮捕された時、夫ヘンリーの行方は不明であった。 バ−バラが嘘発見器によるテストを拒否すると、尋問は打ち切られ、彼女の有罪が仮定された。 カリフォルニアの新開も、彼女を黒と仮定する側に加わった。 公判に備えて、バーバラのために裁判所が指定した弁護士は、彼女を白とする唯一の鍵は、彼女の夫の確実な陳述であると強調した。 しかし、弁護費用は余りにも僅少で、ヘンリー・グレアムを見つけ出すことは不可能であった。 バーバラは同囚の一人から、5百ドルあれば、アリバイをつくることができると聞いた。絶望のバーバラは、 この案に縋りついた。やがて彼女の "アリバイ″としてサム・シリアニが訪ねて来た。2人は相談して、 3月9日のその夜、或る自動車旅行者のホテルで共に過ごしたと証言することに決めた。しかしながら、その約束は破られた、公判が開かれ、 意外にも、検事側の証人として登場したシリアニは、逆に、バーバラがモノハン殺しに加わったことを自分に打ち明けたと重要な陳述を行った。 実は、シリアニは刑事で、鉄窓を境に取交されたバーバラ・グレアムとの会話は、コートにかくされたミニホーンに 完全に録音されていたのである。・・・(120分) |