砲艦サンパブロ

<The Sand Pebbles>   (66年)

<スタッフ>
製作・監督
原作

脚色
撮影
音楽
音楽指揮

<キャスト>
ジェーク・ホルマン
フレンチー
シャーリー・エカート
コリンズ監長
メイリー
ミスター・ジェームソン
ポーハン

ロバート・ワイズ
リチャード・マッケナの小説
 「サン・パブロ号乗組員」より
ロバート・アンダソン
ジョー・マクドナルド
ジェリイ・ゴールドスミス
ライオネル・ニューマン


スチープ・マックイーン
リチャード・アッテンボロー
キャンディス・バーゲン
リチャード・クレンナ
マラヤット・アンドリアン
ラリー・ゲイツ
マコ(岩松 信)
   原作とその映画化
 “すさまじいアクション”“血沸き肉躍る人物像”と書評家の激讃をうけた 故リチャード・マッケナの処女作であり唯一の小説「サンド・ペブルス」は、 1962年にニューヨークで出版された。蒋介石のひきいる中国が封建主義から国家主義への過渡期にあったころ、 揚子江上の米砲艦サン・パブロ号上に起った冒険の数々…といった目新らしい題材が注目をひいたのであった。 さらに若くてタフなアメリカ人水兵ジェーク・ホルマンを主人公に、人間愛、美しい女性への愛情、 そして戦争の渦巻にまきこまれて板ばさみになってゆく人間像が、生き生きと描きだされている。
 「ニューヨーク・タイムズ」紙のリストでは28週もベスト・セラーをつづけ、1万ドルのハーパーズ賞をうけ、 アメリカで最も有力な雑誌「サタデイ・イブニング・ポスト」に連載されたこの小説が、映画化されることになった。
 最近では「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエスト・サイド物語」、または「重役室」「傷だらけの栄光」 「私は死にたくない」などアカデミー受賞作で名高いロバート・ワイズがプロデューサー兼監督にえらばれた。
 1965年Il月中旬から80日におよぶロケーションが予定され、ワイズ監督はハリウッドから IOO人以上のスタッフおよぴキャストをひきいて、台湾の基隆(キールン)、淡水(タム・ショイ)、 台北(タンペイ)地区で撮影された。 ハリウッドの20世紀フォックス撮影所で3カ月間の作業に入る前に、極東でスタジオ撮影が予定されていた。
 原名のTHE SAND PEBBLESは、サン・パブロが華僑英語でナマったサン・パブロ号および 乗組員にひっかけたニック・ネーム。 艦上では苦力を使って豪華な生活をしているものの、船自体は吹けば飛ぶような“ジャリ船”で、 乗組員も誇り高き“小ジャリ野郎”たち、といった意味。
 <梗概>  1926年。中国統一を夢みる中国人の排外思想は、ようやく熾烈となり、 とくにインテリ学生をふくむ暴徒のデモが活発となったので、列国は揚子江沿岸の権益と人命財産を守るために 艦艇を出動させていた。その一つ、アメリカの砲艦サン・パブロ号は、米西戦争のとき、 アメリカがスペインから分捕ったという時代もので、中国に廻わされてからすでに20年以上を経過している。
 ある日、サン・パブロ号にジェーク・ホルマンという一等機関兵が、アメリカから上海経由で赴任してくる。 途中、彼はアメリカの宣教師ジェームソンとシャーリー・エカートという美しい娘に会う。 シャーリーはジェームソンの伝道学校の教師として、彼女もまたアメリカから赴任Lて来たのであった。 ジェークは、シャーリーと親しくなる。彼女に心ひかれるようになったが、そのまま別れる。
 艦に乗りこむと、ジェークは意外な事実を発見する。それは一切の艦の運営が中国人の手に握られていることであった。 ジェークは機関室だけは自分が責任をもとうとすると、もう20年もこの機関室にいるという中国人チェンがたちまち反発する。 やがて艦が揚子江を遡行しはじめると、ジェークは機関の音を聞いて修理を必要とすることを知り、コリンズ艦長に報告すると、 それを耳にしたチェンが自分の面子を立てるために修理をしようとして事故のため死ぬ。
 ところがジェークにとり意外なことが起る。中国人の乗組員はもちろん、 水兵たちがジェークに非難の眼を向けはじめたのである。つまりジェークに余計なことはして欲しくない、エンジンは 中国人に任せておけばいいというのである。やがてチェンの後釜にポー・ハンが座り、ジェークの指導を受けるようになる。 ジェークが艦内で親しくなったのはフレンチーだけで、・・・  (196分)

inserted by FC2 system