八十日間世界一周

<Around the World in 80 Days>   (56年)

<スタッフ>
製作
監督
原作
脚本


撮影
美術
音楽
編集


<キャスト>
フィリアス・フォッグ
パスパルトウ(フォッグの従者)
フィックス刑事
アウダ妃

マイケル・トッド
マイケル・アンダーソン
ジュール・ヴェルヌ
ジェイムズ・ボオ
ジョン・ファーロウ
S・J・ベレルマン
ライオネル・リンドン
ジェイムス・サリヴァン
ヴィクター・ヤング
ジーン・ラヂェロ
ポール・ウェザーウォックス


デヴィット:ニーヴェン
カンテインフラス
ロバート・ニュートン
シャーリー・マックレーン
 「八十日間世界一周」が、1956年10月17日、紐育ブロードウェイのリヴォリ劇場に於いて 公開されるや、映画と云うよりむしろその領域を大きく踏み出した、新しいショーと云う表現に ふさわしいこの作品は、が然映画始まって以来の、最も素晴らしく、極めておもしろい映画として、 世界的な反響と、驚威的な盛況をよんだ。
 まづ、映画批評に一番辛辣な筆を振う、ヘラルド・トリュビューン紙の 人生が続く限り、永久に上映される作品であろう。絶対に見逃すことの出来ない一大傑作1″と云う、 破格的な讃辞を初めとして、観る人凡ての驚嘆の声をあつめて、文字通り全世界を席捲する 大きな話題となったのである。
 「八十日間世界一周」は、そうした反響を裏書きするかの如く、全米批評家協会長優秀映画賞を皮切りに、 47を数える諸団体の受賞に輝やいているが、更に本年3月27日午後8時(日本時間28日午後1時)より行われた、 注目のアカデミー賞授賞式に於いて、最優秀作品賞を初め、音楽賞・色彩撮影賞・脚色賞・編集賞等 5部門のオスカーを獲得して、この作品の成果に点晴を加えたことは、まだ我々の記憶に新しいところであろう。
 衆知の如く、この映画は「海底二万哩」の原作者であり、空想科学小説の草分けとして我国には 明治時代から親まれその翻訳書のある、フランスのジュール・ヴェルヌ(1828-1905)の代表作の一つで、 1872年に刊行された同名の小説の映画化である。
 製作者マイケル・トッドは、ニューヨークの興行者として夙にその実力を認められている人物であるが、 トッド・AOと云う新らしいワイド・スクリーン・システムを世に紹介して、忽ち映画界の注目をあび、 次いでこの映画を製作するに当っては、独立で7百万弗の巨費をあつめると共に、 キャストに48名を数える一流俳優を網羅、幾多の困難と斗いながら、美ン事空前の超大作を創り上げて、 既成映画会社を唸らせた快人物。しかも私生活では、エリザベス・テイラーの新夫として、 その方面でも華やかな話題をあつめている風雲児である。
 この映画の撮影は、正に全世界に亘って行われたが、特に外国の場面は正確な地方色をもった12の国々で撮影され、 その中には英国、フランス、スペイン、エジプト、パキスタン、ホンコンが含まれており、 わが国にも1955年12月から、56年初頭にかけてロケ隊が来日、各地でロケーションを行っており、 この撮影には、日本側から名手三村明が参加、腕を振っている。
 「八十日間世界一周」の日本公開は、アメリカ本国を除いては、フランス、カナダ、ヴェネヅェラ、ロンドンに次いで、 海外5番目に当っており、名実共にアジア独占封切りである。
 43名のカメオ・スター:
シャルル・ボワイエ、 ジョー・E・ブラウン、 マルティーヌ・キャロル、 ジョン・カラダイン、 チャールス・コバーン、 ロナルド・コールマン、 メルヴィル・クーパー、 ノエル・カワード、 フィンレイ・カリー、 レジナルド・デニイ、 アンディ・デヴァイン、 マリーネ・デイトリッヒ、 ルイ・ミグエル・ドミンギン、 フェルナンデル、 ウォルター・フィッチェラルド、 サー・ジョン・ギルガツド、 ハーマイオニ・ギンゴールド、 ホセ・グレコ、 サー・セドリック・ハードウィック、 トレヴァー・ハワード、 グリニス・ジョーンズ、 バスター・キートン、 イヴリン・キース、 ピアトリス・リリー、 ピーター・ローレ、 エドモンド・ロウ、 ティム・マッコイ、 ヴィクター・マクラグレーン、 A・E・マシューズ、 マイク・
マズルキ、ジョン・ミルズ、ロバート・モーレイ、アラン・モーブレイ、ジャック・オーキー、ジョージ・ラフト、 ギルバード・ロランド、シーザー・ロメロ、フランク・シナトラ、レッド・スケルトン、ロナルド・スクワイヤー、 バジール・シドニー、リチャード・ワテイス、ハーコート・ウィリアムス


 <梗概>  時…1872年(ヴィクトリア女王時代)
 処…ロンドン
 職業があるのか無いのか皆目見当がつかないが、典型的な英国神士でありリフォーム倶楽部の全員である フィリアス・フォッグ氏が、仲間の全員諸公と八十日間で世界一周が出来るか出来ないかの賭をした。 賭金は双方共二万磅。
 飛行機は勿論自動車もない時代、八十日間で世界を一周すると云うフォッグ氏の主張は 誰の眼にも気違い沙汰としか映らなかった。
 賭の、そもそもの発端と云うのが、倶楽部の一員である英蘭銀行頭取氏の膝下から、 白昼大金が強盗され、そんな大胆な泥棒だから今頃は海外へズラかっているよ、とフォッグ氏が云ったことだった。
 フォッグ氏はフランス生れの従者パスパルトーを従えると、旅仕度もそこそこに、 ふらりと八十日間世界一周の旅に出かけた。
 先ずパリ。しかし花のパリもそこそこに、主従2人はマルセーユへと……向う積りだった。 ところが雪崩のために目的地へ行く交通は一切壮絶。しかし救いの神もあるもの、 フォッグ氏は一人のフランス人が差し出した気球の図面にとびついた。
 文明の尖端を行くフランスでも空を翔く気球はもの珍しい。さながら名士然と 派手な気球に乗り込んだ2人が、移る景色の面白さについうかうかとしている間に、 気球はスペインへと流されてしまった。とんだ回り道である。
 スエズ行の汽船をマルセーユでつかまえるには、是非快速船を利用しなくては間に合わない。 ところが只1艘の快速船の持主は、朝から晩まで酒場に入り浸り。
 フォッグ氏の話を開いた快速船の持主は、パスパルトーに斗牛をやらせたら船を提供しようと云う無理難題。 しかしこの一幕も、脊に腹は換えられずと珍芸をくり拡げるパスパルトーに、場馴れしている牛が面喰って、 美事に素人斗牛士パスパルトーの勝で終った。
 スエズに張り込んでいたスコットランド・ヤードのフィックス刑事は、フォッグ氏を てっきり英蘭銀行強盗だと思い込んだ。彼は逮捕状をボンベイに送るよう本庁に連絡するとフォッグ氏の乗船に乗り込んだ。 そしてパスパルトーに近ずき、フォッグ氏が大金持で、慌ただしくせ界一周旅行に旅立ったのを知ると、 一層彼の確信を強めた。船がボンベイに書いた時、フォッグ氏の逮捕状は未だ列着していなかった。 地団太を踏むフィックス刑事を後に、フォッグ氏主従は大印度鉄道の客となり、一路陸地をカルカッタへと向った。
 途中未だ鉄道の敷設されていないジャングルの中を、巨象の脊に乗って進んだ主従と、汽車の中で知り合った駐印英国軍司令官の3人は、 死んだ夫である土候と共に焼き殺されようとしていた美しいアウダ姫を、非常な危険を冒して(寡婦殉死〉から救った。 しかしこのため、カルカッタに着いた途端にフォッグ氏は婦女誘拐容疑で逮捕されたが、保釈金のお蔭で急ぎ旅を続けることが出来た。 ・・・    (169分)

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