ホワイト クリスマス

<White Christmas>  (54年)  

<スタッフ>
製作
監督
   原案
作詞・作曲

<キャスト>
ボブ・ウォレス大尉
  フィリップ・デイヴィス一等兵
  ベティ・ハイネス
  ジュディ・ハイネス
  ウェイヴリー少将
 


ロバート・エメット・ドーラン
マイケル・カーティス
アーヴィング・バーリン
アーヴィング・バーリン


ビング・クロスビー
ダニー・ケイ
ローズマリィ・クルーニィ
ヴェラ・エレン
ディーン・ジャガー
 シネマスコープ・システムに対抗してパラマウント社が新しく作り出したビスタビジョン方式による第一回作品で、 それだけにパラマウント社に於てはその娯楽性に万全を期し、現在パラマウント社の トップ・ミュージカル・スタア、ダニイ・ケイー、ビング・クロスビイ、ヴェラ=エレン、 ローズマリー・クルーニイと4人の顔をそろえている。
 出演者のみならず、製作スタッフの方も豪華をきわめ、まずストーリイは、ハリウッドの オリジナル・シナリストとして一流のノーマン・クラスナ(青いヴェール、恋の乱戦)に、 これまた才人チームとして脚本のみならず監督にまでも手を出して来た ノーマン・パナマとメルヴィン・フランク(ダニーケイのあの手この手、 猛獣と令嬢)の3人の手になる書き卸しシナリオで、このシナリオを、 ワーナ一時代より何でも屋として知られているマイケル・カーティス監督 (エジプト人、カサブランカ)が演出、製作はビング・クロスビイの為に 多く歌曲を作曲しているロバート・エメット・ドーランが担当している。
 この映画は題名自体からも判る様に、アメリカに於いて最も有名な作曲家 アーヴィング・バーリン(彼の歌曲は「アニーよ銃をとれ」 「ショウ・ビジネス程良いものない」等の映画に使用されている)の作詩作曲の 名曲十数曲が織りこまれている。
 撮影を担当したのは、ジョージ・スティーヴンス監督の「シェーン」を手がけて、 一躍有名になったロイヤル・グリッグス、ビスタピジョン・キャメラを得た彼の撮影は 正に鬼に金棒と云う所である。
 ビング・クロスビイ、ダニイ・ケイ、ヴェラ=エレン、ローズマリー・クルーニイの主演者を助けて、 「頭上の敵機」でアカデミー助演賞を得たディーン・ジャガア、メェリー・ウイクス、 ジョン・ブラシア等が出演している。 正に年一本の豪華ミュージカルとして圧倒的な楽しさを持つ映画といえよう。
 <物語>  1944年、欧洲の戦運は既に定まっかにた見えたが、戦斗は依然として激しく続いていた。 戦争中と云へどもクリスマスはクリスマスである。殊にこの151部隊は温情の部隊長 ウェイヴリー少将が退役になるので、その送別の会をかねて砲声の轟く中で パアティが開かれた。
 従軍までは人気歌手だりたボブ・ウォレス大尉が、一兵卒だが芸達者なフィル・ディヴィス一等兵と 一緒になって、兵隊達を喜ばせた。やがて、少将も姿を現わして、ボブは「ホワイト・クリスマス」を 歌った。惜別の言葉を最後に少将が去った直後、敵の爆撃があった。 ボブは危うい所をフィルの注意で助かったが、フィルは右腕に軽傷を負ってしまった。
 フィルが入院中に、戦争ほ終った。病院に見舞いに来たボブにフィルは、 除隊後は2人でチームになって舞台に立とうと云った。今まで誰ともチームを組んだ 事のないボブは気が進まなかったが、フィルが、これ見よがしに負傷した右腕をさするので 断わるわけには行かなった。
 所が、いざ組んでみると大成功で、2人ほ舞台にテレビにと大当りを続けた。 持ち前の忙しがり屋であるボブは、色々と面白いアイディアを雲の如くわき出し それに引きずられ、フィルも寸暇なく働かされるので、内心大いに悲鳴をあげていた。
 マイアミに来た時に、フィルはボブを誘ってそこのナイト・クラブで歌を 歌っているべティとジュディの姉妹を見に行った。ボブはその姉妹を自分のショウの舞台に 使えるかどうかを考えるだけだったが、フィルの方はボブを姉のベティと恋仲に さそうという魂胆でことさら自分は妹のジュディに接近して行った。早くボブを結婚させれば それだけ自分が楽が出来るだろうと思ったからである。 初めからフィルに惹かれていたジュディは、彼の積極的態度に大いに喜んだ。・・・  (120分)

 
   アーヴィング・バーリン

 アーヴィング・バーリン(本名:イスラエル・バーリン)は、1881年ロシアのテルム生まれのロシア人。
 父親がユダヤ教教会の合唱隊長をしていたことから、幼少のころから音楽に馴染んでいた。
 彼が5歳の時、両親は8人の子ども(アーヴィングは末っ子)を連れてアメリカ・ニューヨークの貧民窟イースト・サイドに移住した。
 無一物で渡ってきた一家とともに幼い頃から苦労を重ね、父親から音楽を教わり、街頭で歌を歌っては家計を助けた。
 下町で直接アメリカ気質を吸い込んだ彼は、レストランなどで働きながら独学で作曲を覚え、19歳の時、初めて楽譜の出版で僅かな印税を手にした。
 1911年「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を発表して一躍有名となり、これ以後の彼の作詞作曲した歌
曲は、舞台に映画に絶賛を拍し続けた。

   ヴィスタヴィジョン

 パラマウント映画は、この「ホワイト・クリスマス」でヴィスタヴィジョンというワイド・スクリーン映画システムを採用した。
 FOX映画のシネマスコープと映画製作を二分するもので、ヴィスタヴィジョンはシネマスコープと違って、普通サイズ、ワイドスクリーンいずれで映写しても差し支えないように撮影されているのが特徴。それに普通映画の二コマ分を一コマにしたフレームに縮小して普通のプリントに仕上げるので、映写されたワイド・スクリーンでは、従来より高い鮮明度の画面となる。
 画面の縦横比はシネマスコープ1:2.55に対して、ヴィスタヴィジョンは1:1.85で、普通サイズの1:1.33に近い。

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