ウエスト・サイド物語

<West Side Story>  (61年)

<スタッフ>
製作
製作補佐
監督

音楽
作詞
音楽指揮
振付

<キャスト>
マリア
  トニー
  リフ
  アニタ
  ベルナルドー
  アイス
 

ロバート・ワイズ
ソール・チャップリン
ロバート・ワイズ
ジェローム・ロビンス
レナード・バーンシュタイン
スティーブン・ソンドハイム
ジョニー・グリーン
ジェローム・ロビンス


ナタリー・ウッド
リチャード・ベイマー
ラス・タンブリン
リタ・モレノ
ジョージ・チャキリス
タッカー・スミス
 「ウエストサイド物語」、このミュージカル舞台劇は 大好評のうちに、ブロードウェイで何年間も続演され、米国の各地にも巡業がおこなわれた。 その後さらにニューヨークで凱旋興行がおこなわれ、これが又もや空前の大ヒットを記録するという、 演劇界史上にもその例をみない大成功をおさめたのである。そしてついにハリウッドが映画化に着手した時には、 舞台の方ではまだ続演中だったというのだからオドロキだ。
 「ウエストサイド物語」を世に送り出したのは、有名な演出家で振付師のジェローム・ロビンスだった。 彼はある日、シェークスピアの「ロメオとジュリエット」でロメオの役を演ずることになった 演劇学校の友人から、どのように演ればこの傑作クラシック文学に新風を吹きこむことができるだろうか、 と相談を持ちかけられた。この時、あたかも青天のへキレキのように、ロビソスの胸にあるアイデアが生まれ、 これがのちに十年に一度といわれる素晴しい大作ミュージカルプレイに成長することになった。
 ロビンスは考えつづけた――このラヴストーリの古典を現代ドラマに置きかえると どうであろうか、それにはどうすればよいか―― そしてある時、突然「ウエストサイド物語」の肝子が彼の胸中で鼓動をはじめたのだ。
 ロビンスは「ウエストサイド物語」に取りかかる前に、すでに幾多のブロードウェイの ヒット音楽舞台劇の振付けを担当しているが、これらの中には、「ハイボタンシューズ」 「踊る大ニューヨーク」「王様と私」などの大作があり、さらに振付けと演出を兼務した作品として、 「ピーターパン」「ベルズアーリンギング」および「ジプシー」がある。これらはいずれも今回の 「ウエストサイド物語」よりは、軽妙酒脱で、シャれたタッチの作品ばかりである。だが、 今度はシェクスピアの恋愛物語をミュージカルドラマ化したものであるから、 その背景はもちろんヴェロナではなくニューヨークとなっている。キャピュレット家とモンターギュー家の いがみ合いはアスファルトの路上をバックに、プエルトリコ人と生っ粋のニューヨークっ子との軌轢に変る。 また、有名なバルコニーのシーンはリチャード・ベイマーがロメオの役どころを、ナタリー・ウッドが ジュリエットの役どころを、それぞれ非常階段の上で演じている。
 映画化の実現にあたり、真っ先におこなわれたのが、現在のハリウッドで最も尊敬され、 重宝がられているたくましい創造力の持主ロバート・ワイズを本作品の製作者兼監督として契約することだった。 ワイズは本映画についてだいたいの概念を脳裏にたたみこむと、さっそく製作準備を開始した。 脚本が執筆され、物語の概要について検討がおこなわれた。もちろん本映画のステージプレイを演出した ジェローム・ロビンスの助力が全面的に必要だった。さっそくロビンスが6百万ドルを費やして製作される この映画の共同監督ならびに振付師を兼務することになった。もちろん 彼にとっても、かかる70ミリの超大作作品の映画化に肯首したのはこれがはじめてであった。
 <梗概>  大ニューヨークの片隅、ウエストサイド地区――ここでは一生をわずか48時間で終えることもできるのだ。 聴きたまえ、ほら、聞こえてくるだろう。指をパチソパチンと鳴らせるようなあらあらしいウエストサイドの 息ずかいが。
(プロローグ″)
 リフをボスとする「ジェット」組と、ベルナルドの率いる「シャークス」組とは 互いに激しく対立し合っていた。彼等はそれぞれ一つの地区を自分のものだと主張し、 決してゆずろうとはしないのだ。
 このいがみ合いの解決方法はただ一つ。もちろん果し合いだ。
 でも何も心配することなんかありやしない――なぜなら「ジェット」がいちばん強いからだ。 (ジェットソング″)彼等は「シャークス」組に果し状を突きつけた。 時は今宵、場所は中立地帯に位置する体育館。リフとトニーが今宵こそ「ジェット」組を代表して、 「シャークス」組の代表とダンスの技倆を競い合うのだ。
 リフはいちばんの親友、トニーと「ジェット」組を組織した。だが、トニーは最近「ジェット」 組から離れて「"先生"のキャンデイ・ストア」で働いている。「でもな」とリフはいう。 「まさかの時には、いつでもあいつをアテにできるのさ」。リフがキャンデイ・ストアにやってくる。 トニーはしぶしぶダンスに行くことを承知した。トニーはいつも何か素晴しいことを探し求めているのだ。 (素晴しいことがやってくる″)「その素晴しいことは今夜のダンスの時に起るかも知れないからな」と 笑いながらリフがトニーを元気づける。
 マリアにとっても今宵のダンスは非常に重大な意味があった。兄のベルナルドが 彼女をアメリカに連れてきてからまだ一ケ月しか経っていない。でも、「あたしはスリルを求めているのよ」と 彼女は兄、ベルナルドの女、アニタに呟く。今宵こそマリアには、「若きアメリカンレディとして 生活の第一歩を踏み出す最初のチャンス」であるからだ。
 いよいよダンスがはじまった。ベルナルドがアニタとマリア、それにマリアが結婚を誓ったチノを連れて 会場に姿を現わすと、間もなく二組のグレン隊の間に激しい競い合いがおこる。二組の代表はただ黙々と 額に汗を漲らせてステップを踏むのだ。(ジムのダンス″)。
 トニーが反対側の入口に姿を現わした。そしてマリアと視線が合うや、二人は互に強く惹かれるものを感じる。
 やがて二人はどちらからともなく近づくと、踊りはじめる。だが、二人のダンスは長くは続かなかった。 ベルナルドが荒々しく二人を遮ったからだ。ベルナルドはマリアに向かうと、 「あいつは『ジェット』組のやつだぜ、知らないのかい?」となじる。
 「知らなかったわ」とマリアがこたえる。「だってあの人、誰ともいっしょじやなかったもの」。
 この小さな事件がきっかけとなり、リフがベルナルドに戦いをいどんだ。二人はダンスバーティのあとで、 「戦争会議」をする約束をして別れる。・・・ (152分)

 
 1964年11〜12月、東京日生劇場で本場のミュージカルの「ウエストサイド物語」が上演された。

 この上演でまず驚かされたのは、そのパワーと迫力は別として、機能的な舞台装置とそれをキャスト自身が
装置係として場面転換することだった。

 キャストは、ジェット団の首領リフ=タッカー・スミス、リフの友人トニー=ドン・マッケイ、シャーク団の首領ベル
ナルド=ベン・ジェラード、彼のの妹マリア=マーリス・ワターズ、彼の情婦アニータ=パティ・カー。

 ロジャーズ&ハマーシュタイン二世の世界を塗り替えたミュージカルだ。
 2002年12月31日、恒例のベルリン・フィル・ジルベスター・コンサートが開催され、衛星で生中継された。

 何年か前、ベルリン・フィル・サマー・コンサートが野外
であり、その時はガーシュインの「ポギーとベス」が演奏
された。(録画中継)

 今回ジルベスター・コンサートでは、バーンスタインの1953年のミュージカル「ワンダフル・タウン」だった。

 バーンスタインのミュージカルで「オン・ザ・タウン」や「ウエストサイド物語」は、映画にもなり、また舞台キャストに よるLPレコードも出ているが、「ワンダフル・タウン」の曲は初めて耳にしたものが多く、大変楽しかった。

 とくに最後に、聴衆と一緒に歌い踊った“コンガ!”は盛り上がっていた。

 序曲に始まって全部で16曲、故郷のオハイオ州から成功を夢見てニューヨークにやって来たルースとアイリーンの 姉妹が、グリニッジ・ヴィレッジを舞台に恋愛や仕事で引き起こす騒動を描いている。



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