スター!

<Star !>    (68年)

<スタッフ>
製作
監督
脚本
撮影
振付
音楽監修・指揮

<キャスト>
ガートルード・ローレンス
  リチャード・アルドリッチ
  アンソニー・スペンサー卿
  ノエル・カワード
 

ソール・チャップリン
ロバート・ワイズ
ウィリアム・フェアチャイルド
アーネスト・ラズロ
マイケル・キッド
レニー・ヘイトン


ジュリー・アンドリュース
リチャード・クレンナ
マイケル・クレイグ
ダニエル・マッセイ
 「サウンド・オブ・ミュージック」で大ヒットを飛ばしたジュリー・アンドリュースとロバー・ト・ワイズ監督の ゴールデン・コンビが3年ぶり、2度目の夢合わせをしたトッドAO・70ミリの超大作、愛と感動のミュージカル・ドラマである。
 ジュリーが演じるヒロイン、ガートルード・ローレンスはイギリスが誇る大女優であり、その生い立ちやキャリアは ジュリーとも共通するものがあり、「サウンド・オブ・ミュージック」以来の最適役と期待され公開が待たれていたものである。 女として、妻として、母として、女優として、今も語り伝えられている魅力に富んだ生き方をじっくり描きあげたワイズ監督の ドラマ作りは、この作品でまた大きく安定したようである。
 ガートルード・ローレンスは、ユル・ブリンナーがブロードウェイにセンセーショナルなデビューをした「王様と私」の 私役を演じその舞台の上でたおれ、亡くなった女優として有名だが、劇作家ノエル・カワードとの終生かわらなかった友情でも 史上に名高い女性である。
 オリジナル脚本はウィリアム・フェアチャイルド、製作は「ウェスト・サイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」を はじめとし、ミュージカル映画を語るに欠かせぬ人であり、またワイズ監督とは意気の合っているソール・チャップリン。
 美術は「サウンド・オブ・ミュージック」でアカデミー賞受賞のボリス・レビン.音楽監修指揮はレニー・ヘイトンである。 17曲の歌曲の中、ソール・チャップリンが作詞、作曲した「私の喜びの園」とサミー・カーン作詞、ジミー・バン・ヒューゼン作曲の タイトル・ソング「スター!」以外は、当時大ヒットしたジョージ・ガーシュインやコール・ポーター、それに ノエル・カワードの作品が使用されている。
 <梗概>  1898年、ロンドンのクラップハムでガートルード・ローレンスは生れた。ほとんど貧民に近い家庭の中で、 彼女は父親アーサーに家出されるというみじめな悲しみに追いうちをかけられて育って行った。
 誰の血筋なのか、彼女は芸ごとが好きで母親の希望もあり、ミス・イタリア・コンテイの舞台学校に進む事になった。 ノエル・カワードという名の才能ゆたかな演劇少年と仲よくなったのもその頃のことである。彼女は、 やがて巡業の旅にも出るようになり、舞台人としての生き方を無我夢中で覚えて行った。
 暗い環境の中で育つ身でありながら、彼女は明るくてバイタリティにみち、勇気に溢れ、度胸も満点の少女として育っていた。
 ある日、出演中のロンドンのミュージック・ホールで父親と再会した。憎いとは思いながらも夢にまで見た父親だった。 彼はローズという女とコンビを組んでショウ・ビジネスの世界に生きていたのである。父と娘は和解した。 同じ道を歩く者同士の共感が、捨てた者と捨てられた者の間にあった長い年月を忘れさせたのかもしれない。彼女は16歳になっていた。
 ガートルードは父の一座に加わり、ブリックストン・ミュジック・ホールに出演するようになった。 その最初のステージくピカデリー〉でたちまち人気者になった。
 ノエル・・カワードに再会したのは第1次大戦終結後間もないボードビル劇場でだった。自作自演の若い才能で 名前の売れ始めていた彼と彼女は、友人として、共演者として改めてスタートした。
 やがて、彼女は一座の若いステージ・マネージャー、ジャック・ローバーを愛し、貧しい結婿生活へ飛び込んで行った。 ・・・ (175分)

 
MUSICAL PROGRAM :

STAR !
PICCADILLY
OH, IT'S A LOVELY WAR
MY GARDEN OF JOY
FORBDDEN FRUIT
'N EVERYTHNG
BURLINGTON BERTIE FROM BOW
PARISIAN PIERROT
LIMEHOUSE BLUES
SOMEONE TO WATCH OVER ME
DEAR LITTLE BOY
DO, DO, DO
SOMEDAY I'LL FIND YOU
THE PHYSICIAN
HAS ANYBODY SEEN OUR SHIP
MY SHIP JENNY

 ジュリーは1935年、イギリス・サリー州生まれ。義父がボードビリアンで、小さい頃から舞台に立っていた。先ごろラジオの公開番組に出演、その音域の広さを披露しているモノクロ・フィルムがテレビで紹介されていた。
 47年に渡米、「ボーイ・フレンド」でブロードウェイにデビュー、「マイ・フェア・レディ」の主役を演じスターになった。
 映画では64年度アカデミー主演女優賞の「メリー・ポピンズ」、さらには「サウンド・オブ・ミュージック」、「スター!」など。
 59年に装置家のトニー・ウォルトンと結婚、娘がいるが、68年に離婚、その後、監督のブレーク・エドワーズと再婚した。
 ミュージカルの舞台がそのままテレビで中継されることは、まずない。「レ・ミゼラブル」も舞台の出演者が舞台装置もなく、ただ演奏会として上演したものはテレビで録画放送された。
 しかし、何年前だったか夫君のブレーク・エドワーズの演出で「ヴィクトリー・ヴィクトリア」の舞台が特別のはからいで日本で放送された。その前に、彼女はN響をバックに歌っており、親日家としても知られている。その後、喉を傷めて休んでいるが、再起を期待したい。

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