わが心に君深く<Deep In My Heart> (54年) |
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<スタッフ> 製作 監督 音楽監督 作曲 原作 振付 <キャスト> シグマンド・ロンバーグ ドロシイ・ドネリイ アンナ・ミューラー リリアン・ロンバーグ J・J・シューバート フロレンツ・ジーグフェルド |
ロジャース・エデンス スタンリー・ドネン アドルフ・ドイッチュ シグマンド・ロンバーグ エリオット・アーノルド ユージーン・ロウリング ホセ・ファーラー マール・オベロン ヘレン・トロウベル ドウ・エブドン ウォルター・ピジョン ポール・ヘンリード |
ハンガリーに生れアメリカに於て死ぬまで作曲生活を続けたシグマンド・ロンバーグの伝記映画である。
彼の書いたものはいわゆるライト・オペレッタで、これ等のオペレッタが今日のミュージカル ・プレイの源泉となっている。ロンバーグが書いたライト・オペレッタには、つい最近映画化され 我が国の銀幕を飾った「皇太子の初恋」(トーキーになってから二回目の映画化、初演は1924年) 「砂漠の歌」(この作品も二、三度映画化されている。初演は1926年)、「ニュー・ムーン」 (二回映画化されている。初演は1928年)、「五月の頃」(一回映画化。初演は1917年)等がある。 それらのライト・オペレッタの中で使用された「わが心に君深く」「恋人よわれに帰れ」などの曲が 彼の代表的歌曲と云って過言ではない。 ブタペストに生れニュー・ヨークで死ぬまでの波瀾を極めたその生涯を、 妻の愛情と友の友情を骨子に美しい物語として映画化したもので、原作はエリオット・アーノルド著の 「シグマンド・ロンバーグのメロディ」と云う書物に依り、「僕は戦争花嫁」を脚色した レオナルド・スピゲルガスが脚本を書いている。 監督は「踊る犬紐育」「掠奪された七人の花嫁」などの作品ですっかり男をあげてしまった スタンリー・ドネンで、大好評を指した「掠奪された花嫁」に次いで演出した作品である。 彼を助けて「若草物語」「アニーよ銃をとれ」「ショー・ポート」「百万弗の人魚」等の音楽を 担当したアドルフ・ドイッチュが音楽を、一方女性の衣裳を「雨の朝巴里に死す」「緑の火エメラルド」の ヘレン・ローズが、男性の衣裳をウォルター・プルンケットがそれぞれ担当している。 撮影は「百万弗の人魚」「第8ジット戦闘機隊」等のジョージ・フォルシイで、 美術は監督までした事もあり、又MGM社の製作する映画のほとんどを手がけているセドリック・ギボンズで、 エドワード・カルクァンゴの協力を得て担当している。 出演者も製作者等と同じく多彩な顔ぷれで、「雨に濡れた欲情」「もず」等の性格俳優ホセ・ファーラァが 作曲者シグマンド・ロンバーグに扮する他に、「デジレ」「リディアと四人の恋人」のマール・オベロンが ロンバーグの良き助言者たる女友達に扮し、新人のドゥ・エヴドンがロンバーグの最愛の妻リリアンを 演じている。 一方ワグナー歌手としてメトロポリタン歌劇場のプリマドンナ、ヘレン・トロウベルが出演している。 彼女はつい先年来日し、その素晴しい声を我国のファンに聞かせてくれたばかりである。 「わが心に君深く」「砂漠の歌」等々ロンバーグの手になる数々の名曲が登場するわけであるけれど、 これ等の曲を或は唄い或は踊るスタア達の顔ぶれ刈MGM社ならではの豪華を極めたものである。 「女の子と泳ぎに行きたいね」はジーン・ケリイとフレッド・ケリイの兄弟が踊り、 シド・チャリシーとジェームス・ |
ミッチェルの踊る「砂漠の歌」、トニイ・マーチンが唄う
「恋人よ我に帰れ」、アン・ミラーの踊る「イット!」、それ等の中で一きわ輝いているのは
つい先頃結婚したホセ・ファラーとローズマリー・クルーニー夫妻の「御夫妻で」のナンバーであろう。
その他に歌手やダンサーが大勢出演している。
その昔ウイリアム・ポウエルが扮したジークフェルドにポール・ヘンリードが、ジーグフェルドと 常に対抗していた興行師シューバードにウォルター・ピジョンがそれぞれ扮し、有名なスタア、 ギャビイ・デリススをフランスからまねかれたタマラ・トウマノウバが演じている。 <物語> 青年シグマンド・ロンバーグは紐育のカフェー・ヴィエンナのバンド指揮者、アンナ・ミューラは、 カフェー・ヴィエンナの主人で、2人は、仲のよい友達である。ロンバーグはここで故国 ハンガリーの音楽を演奏し、アンナもまたウィーン音楽のよき理解者であり、彼の良き後援者である。 今日もロンバーグは、二番街を通って、カフェー・ヴィエンナに来る。アンナは親しく、 彼を迎え、彼の演奏に合せて(DANCE MY DARLING)「踊ろうよ君たち」を歌う。 然し、ロンバーグを訪ねて来たブロードウェーの演劇代理業者ペリソンはロンバーグの音楽の 旧式なリズムを嘲った。 ロンバーグの最初のジャズ曲、唄と踊りの「羊の足」 LEG OF MUTTON はこの嘲笑に対する回答であり 「羊の足」はブロードウェー最大ヒットの一つとなった。 当時の大興業主シューバートが自分に興味を持っていると知るやロンバーグは、自らシェーバートと 話をまとめて芸能界の檜舞台に乗り出す。 リハーサルの日、舞台では、パリジェンヌ、キヤピー・デズリスがシューバートの レヴューのレヴュー≠フ為のHELLO TO THE BOYSハロー・少年達″を唄う。シューバートと一緒に、 「マダム]」のスター、ドロシイ・ドネリー、シューバートのステージ・マネヂヤー、 バート・タウンゼンドもいる。 ロンバーグのもつ、古い世界の魅力は、デズリー嬢や並みいる聞き手に、感銘を与えた。 そして、彼が朝日のようにさわやかに≠弾いた時シュバートとキヤピーに、 此の唄が次のショウのヒット・ナンバーになると説いたのは、居合せたドネリー嬢だった。 これから長い間シューバートとロンバーグは協力して行く事になった。 そして、もつと大切な事は、此れを機会としてロンバーグとドロシーの間に、熱い友情の生れた事だった。 みんなは、カフェー・ヴィエンナに帰って、契約成立のお祝のパーティを開く。 然し、シューバートのショウは、ブロードウェイでヒットしたけれど自分の曲が、 キヤピーによってフランス風にかえられているのを知って、ロンバーグは・・・ (128分) |
ゲスト出演と主な曲目 : ローズマリー・クルーニイ 「真夜中の娘」 ローズマリー・クルーニイと夫君のホセ・ファーラー 「ご夫妻(ミスター・アンド・ミセズ)」 ジーン・ケリーと弟のフレッド・ケリー 「女の子と泳ぎに行きたいね」 アン・ミラー 「画家とモデル」 ウィリアム・オルヴィス 「学生王子」 シド・チャリシィとジェームス・ミッチェル 「砂漠の歌」 トニー・マーチンとジョーン・ウェルデン 「ニュームーン」 |
シグマンド・ロンバーグ(1887.7.29〜1951.11.8)は、ハンガリー生まれ、父はアダム、
母はクララという。
彼はピアニストの父から音楽教育を受けた。音楽理論、音のハーモニー、 対位法をリチャード・ホイベルガーに教えられ、20歳で陸軍に入隊、1909年に工業技師 としてアメリカに渡った。 アルバイトでニューヨークのハンガリア・レストランのディナー音楽を演奏したりして、 13年には定住するようになった。 そのうち彼は音楽を本業とするようになり、オーケストラを組織してあるレストランで演奏 しているときに、大興業主J・J・シューバートに会った。 これが縁で彼はシューバートのために数々の“ライト・オペレッタ”を、またハリウッドに飛んで 映画のための音楽を数多く手がけた。 「メイタイム」「砂漠の歌」「ニュー・ムーン」「皇太子の初恋」などのオペレッタは、 次々と映画化された。 |