艦隊は踊る

<Hit the Deck>  (55年)

<スタッフ>
製作
 監督
音楽
 音楽監督
衣装

<キャスト>
スーザン・スミス
ウイリアム・F・クラーク(水夫)
キャロル・ペース
  ダニエル・グザビヤー・スミス海軍少将
  リコ・フェラリ
  ウェンデル・クレーグ
  ジンジャー
  ダニー・グザビヤー・スミス
 

ジョー・パスタナック
ロイ・ローランド
ヴィンセント・ユーマンズ
ジョージ・ストール
ヘレン・ローズ


ジェーン・パウエル
トニー・マーチン
デビー・レイノルズ

ウオルター・ピジョン
ヴィック・ダモン
ジーン・レイモンド
アン・ミラー
ラス・タンブリン
 北氷洋の果てにいる海軍部隊え、そして又熱帯のジャングルの中で作業をしていた陸戦隊え、 サンフランシスコえ帰港の指令が来る。そして彼等が半舷上陸してから艦艇に帰る迄の間の 短い時間に起る話題を、徹底的に明るく楽しく見せようとして作られた、MGM御家芸のミュージカルで 現在アメリカの10代に最も多くの人気を持っている若手スター連を総動員して作られた娯楽篇である。
 妙な理屈や御説教や考えさせられたりする様なものは全然なく、如何に楽しめるかということが、 この映画のポイントになっている。紐育のロードショウでは、大好評を取った1955年3月発売の 最新作シネマスコープである。
 製作はミュージカルの大作ばかり手がけているジョー・パスタナック監督は「緑のそよ風」 等の秀作を発表したロイ・ローランドである。
 出演スターはMGM青春スター・オン・バレードで、「掠奪された七人の花嫁」の ジェーン・パウエル、「雨に唄えば」のデビー・レイノルズ、「イースター・パレード」のアン・ミラーの 発剥たる3女牲に対して、トニー・マーチン、ヴィック・ダモン、ジーン・レイモンド、 「掠奪された七人の花嫁Jで末子をやったラス・タムプリン等若手二枚目がずらりと並び、 それに提督になって老巧ウォルター・ピジョンが出演している。
 音楽はヴィンセント・ユーマンズ、美術はセドリック・ギボンス、女性の衣装は ヘレン・ローズというMGM一級の製作陣を揃えた絶対他で真似られぬ総天然色のミュージカル・シネスコである。
 尚主題歌ハレルヤ他 Sometime I'm Happy や I Know That You Know 等13曲の ヒットソングが挿入されている。  
 <物語>  海軍生活の華やかさを盛った水兵募集広告を見て、景色のいい外国の港町での楽しいロマンス等を 夢に画いて、海軍に入ると大変なことになる。
 水夫長ビル・クラーク、水兵リコ・フェラリ、同じくダニー・スミスが、北極の氷の海や、 熱帯の島でさんざんな目に会って半年ぶりに、サンフランシスコに帰って来ると、泣き面に蜂、 家庭戦線は頗るおだやかならざる形勢。
 先づは、水夫長のビル・クラーク曹長、かえってみると入隊前歌と踊りで結ばれた恋人のジンジャーは 6年間も結婚をのびのびにしているビルの態度に業を煮やし、文民と解約してしまって剣もホロロの応対ぶり。 リコの母親は文花虚のベロエ氏と仲よくやっていて
 リコの母親は又花屋のペロニ氏と仲よくやっていて、当のペロニ氏はリコの様な大きな息子がいるとは 知らないという筋書。
 ダニーの方は自分が、ダニエル・グザビヤ・スミス提督の息子であることを、 同僚には極く内密にしているのだが――いつまでもネンネーとばかり思っていた妹のスーザンが 音楽喜劇スターのウェンデル・クレーグにうつつを抜かしていると云う有様である。
 妹を探して、ミュージカル・ショウ「艦隊は踊る」リハーサルをしている舞台裏へノコノコと 入って来たダニーはそこで、一座の花形スター、キャロル・べースに会ってホノボノと 恋心を感じ早速デートの運びとなるが、妹のスーザンが、クレーグのアパートへ向ったと知って 急拠仲間を集め、アパートに向う。
 そんなこととはつゆ知らず、クレーグの方はスーザンの歌など、余り関心をもたずソファーに坐って、 一つグラスのシャンペンをすすめ、スーザンの肩に手をかけて…… ・・・ (113分)

 
 ヴィンセント・ユーマンズ(1898〜1946)は、ニューヨーク生まれ、アイルランド系。4歳からピアノを習った。

 エール大学卒業後、農具の仲介業に務め、第1次大戦では海軍に入隊。除隊後、ミュージカル・ショウのスコアを書き始める。

 18年、ヴィクター・ハーバートに認められてミュージカル・ショウ“WHO'S WHO WITH YOU ” を書き、続いて“PICCADELLY TO BROADWAY”が大ヒットした。

 作詞家アイラ・ガーシュインと組んで19年に書いた“TWO LITTLE GIRLS IN BLUE”の中の曲 “OH ME! OH MY! OH YOU!”がヒット。
 さらに“NO, NO, NANETTE”を書いてその中の“TEA FOR TWO”と“I WENT TO BE HAPPY”が 大流行した。

 これ以後の作品は“A NIGHT OUT(1925)” “OH, PLEASE(26)”、この映画になった “HIT THE DECK(27)”
“RAINBOW(28)” “GREAT DAY(29)” “SMILION' THROUGH AS THROUGH THE YEARS(32)”
“TAKE THE CHANCE(32)”。

 33年にハリウッドに渡ったその年、映画“FLYING DOWN TO RIO”「空中レビュー時代」の音楽を担当したが、 彼の“CARIOCA”を踊ったフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが一躍有名になった。



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