オーケストラの少女<100 Men And A Girl> (37年) |
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<スタッフ> 製作 監督 原作 脚本 撮影 美術 音楽監督 <キャスト> パトリック・カードウェル ジョン・カードウェル フロスト夫人 フロスト氏 マイケル ガレージの主人 テイラー夫人 |
ジョウ・パスタアナク ヘンリー・コスター ハンス・クラーリィ チャールズ・ケニヨン ブルース・マニング ジェームズ・マルホウザー ジョゼフ・ヴァレンタイン ジョン・ハークライダー チャールズ・プレヴィン ディアナ・ダービン アドルフ・マンジュウ アリス・ブラディ ユージン・ポーレット ミッシャ・オウア ビリー・ギルバート アルマ・クルーガー |
日本の洋画興行に不朽の金字塔をたてた「オーケストラの少女」は、ドイツ映画界出身の
3人の男たちのすばらしい企画と、ディアナ・ダービンという15歳の少女歌手のすばらしい
デビュウで生れた。 製作者ジョウ・パスタアナクは、ハンガリア生れだが、アメリカに渡って、パラマウントの 東部撮影所の食堂につとめた。グロオリア・スウォンスンの全盛時代で、まもなく彼は助監督になり、 後にそのままユニヴァーサルに転じたが、ナチが、そろそろ牙を立ててきた頃、オーストリアで、 ユニヴァーサル映画をつくり始めていた。これが有名なフランツィスカ・ガァルの主演映画である。 従ってこの企画には、そうしたオーストリア風の善意から生れる愛すべき人間性が根幹になっている。 原案を書いたハンス・クラーリィは、ルビッチがドイツで旋風をまきおこした時のルビッチの 最もよきコンビ作家で、ルビッチが渡米後も、無声映画終期の最高傑作といわれる 「ザ・ベトリオット」その他を書いており、いわば1920年代のドイツが生んだ最大のシナリオ・ ライターである。 ジョウ・パスタアナクがウィーンやブダペストでユニヴァーサル欧洲作品を製虹作していたころ、 フランツィスカ・ガアル主演の名作「ペエテルの歓び」「春のパレード」などを監督したのが、 挿絵画家、新聞記者、批評家などの職歴から、ドイツの映画界に脚本家として入ったヘルマン・コステルリッツ、 渡米して名をかえた今日のヘンリイ・コスターである。 ディアナ・ダービンはこの映画で一躍ハリウッドのティーン・エイジャーの女王となったが、 以後1946年頃まで、ハリウッドのトップ・スタアとして最高給料のスタアとなった。 今はフランスで家庭生活を送っている。 | <物語>
ジョン・カードウェルは今日もトロンポーンを抱えて、フィラデルフィア交響楽団を指揮する
ストコフスキイの演奏会場に忍び込んだが、守衛に追い出された。 丁度演奏会が終って、表は着飾つた人たちで雑踏していた。カードウェルの目前で、 豪華な夜会用のバッグを落していった夫人がある。カードウェルはがっかりした眼で、 あわてて追ったが、もう誰が落して行ったのかわからない。バッグからは紙幣がはみ出ていた。 最後の望みをたち切られたかのように傷心していたカードウェルはそのままボンヤリその バッグを持ってアパートに戻った。下宿のおかみがたまったアパート代を催促した。 カードウェルは拾ったバッグから52弗を払った。殆んど無意識に出してしまったのである。 父の帰りを待っていた娘のパトリシアは、父が下宿代を払ったときいて、職にありつけたいと思い、 天にものばる喜びようであった。 人のいいおかみさんの音頭で、アパートの住人一同がカードウェルの就職祝をやってくれた。 パトリシアはみんなの所望で「光の雨」を唄った。彼女の歌をきくと、誰でも自分が幸福に ひたっているような気持ちになる。 翌朝カードウェルはストコフスキイのもとにゆくふりをして出たが、友人のマイケルに ほんとのことを話して、夕食まで彼につき合ってもらうことにした。 パトリシアは張り切って父の演奏ぶりをききに出掛けたが、そこで父がウソをっいていることを知った。 がっかりして家に戻ったパトリシアは、時間を合せて戻って来たた父に真相をきき、 夕食もとらずにバッグの中にあった名刺の主をたずねた。 ・・・ (84分) |
フィラデルフィア交響楽団の演奏曲目は チャイコフスキィの「第五交響曲」、 ベルリオーズの「ラコッツイ行進曲」、 モツアルトの「ハレルヤ」、 リストの「ハンガリア狂詩曲第二番」、 |
ワグナーの「ローエングリン」、 ヴェルディの歌劇「トラヴイアタ」を演奏し、 ディアナ・ダーピンが「ハレルヤ」と「トラヴイアタ」の「乾盃の歌」を歌う他、 主題歌「光の雨」と「心は自由」の2曲を歌っている。 |