シシリーの黒い霧<Salvatore Giuliano> (62年伊) |
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<スタッフ> 監督 脚本 撮影 音楽 <キャスト> ピショッタ 裁判長 |
フランチェスコ・ロージ フランチェスコ・ロージ スーゾ・チェッキ・ダミーコ エンツォ・プロベン・ツアーレ フランコ・ソリナス ジャンニ・ディ・ベナンツォ ピエロ・ピッチョーニ フランク・ウォルフ サルポ・ランドネ ほか現住民多数 |
イタリア南端の島シシリー(シチリア)には古くからマフィアと呼ばれる秘密結社があり、
なかば公然と都会や村に君臨して人々を恐れさせている。このマフィアは政界、財界と
も密接な関係をもち警察力すら及ばないその勢力はいまだに多くの謎につつまれたまゝである。
この物語の主人公ともいうべき中心人物サルバトーレ・ジュリアーノは、一時、 このマフィアの二男として暗躍し、1950年に何ものかの手で暗殺されてしまった実在の人物である。 この死をめぐってシシリーのみならず、イタリア国内は騒然たる論議の嵐につゝまれた。誰の意志で、 何のために殺したのか、それは現在にいたるまで、決定的な答えは出されていない。 この不思議な事実にもとづいて、イタリアン・ネオリアリズムの後継者といわれる「挑戦」の フランチェスコ・ロージが映画化したのがこの作品である。 いまなお、マフィアの恐怖におののいているシシリーに、危険をおかしてロケ撮影を行ない、 職業俳優は名優サルボ・ランドネと、アメリカ出身の中堅俳優フランク・ウォルフの2人だけ。 あとは、すべて現地の人たちという徹底したセミ・ドキュメンタリ・タッチで、異様な迫力をもり上げている。 この映画は公開と同時に、テーマの特異性のみならず、構成の独創性、映像処理の斬新さが 大きな反響をまきおこし、本国のイタリアばかりかヨーロッパ各国で、絶賛を浴び、62年のベルリン映画祭で 監督賞を受けたほか、イタリアのジャーナリストたちの選出による権威ある賞「銀リボン」の 最優秀監督賞を授けられた。この受賞によってロージはイタリア映画界の最もすぐれた才能として その名を高め、この映画はク映画史上にのこる名作∞新しき「戦艦ポチョムキン」″など、 最大級の賛辞まで受けるにいたった。また、ロージは、この映画につづいて、 マフィアをテーマにした「街をおおう手」で、63年ベニス映画祭でグランプリを授けられている。 |
撮影は「挑戦」「情事」「夜」などの名カメラマンのジャンニ・ディ・ベナンツォ。
音楽は「十七才よさようなら」のピエロ・ピッチーニ。それぞれ、「銀リボン」の黒白撮影賞、音楽賞を
授けられた。
<梗概> 雨が少なく、白っぽい土地に白い石造りの家がならぶシシリー島。夏の強い陽差しをあびた家の中庭に、 一人の男が死んでいる。検事、刑事、憲兵などによって検死が行われ、刑事の一人が報告書を読みあげた。 「1950年7月5日、カステルベトラーノ・マンノーネ街、デ・マリア家中庭にて、 30才前後と思われる男子の死体を発見。服装は次の通り。白色の木綿シャツ。金具つき栗色革ベルトに 拳銑つりをさげている。所持品は次の通り。右手薬指に飾りつき銀製指輪。ズボンのポケットに10リラの イタリア紙幣1枚。身元不詳の人物写真1枚。」 近所の家々の屋上には、刑事の制止もきかず多勢の人が立ちならぴ、報をきいた報道陣が 次々に車でのりつける。「服は血でべっとりしているのに、地面に血が流れていない」という記者の疑問に答えようとしない警察側は、 迷惑げに記者たちを追い払うのだった。 検死の済んだデ・マリア家の中庭はまだ雑然としている。記者達は執拗に係官にくいさがり、 ジュリアーノの死因を質した。係官は 「10日ほど前に米国脱出の情報が入り、憲兵を配置した。 中庭に駆けこんできて、憲兵と応戦、心蔵をうたれた。」と答えた。だが、記者の近所の聞き込みでは、 拳銃の音が3発して、しばらくたって機関銑が鳴ったということである。記者はローマへの電話で報告する。 「公式発表と聞き込みがまるで食い違っている……」 ・・・ (124分) |