菩提樹<Die Trapp-Familie> (56年独) |
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<スタッフ> 製作 監督 脚本 撮影 音楽 <キャスト> マリア トラップ男爵 ワスナー博士 |
ディヴィナ・グロリア ウォルフガング・リーベンアイナー ゲオルク・フルダレック ウェルナー・クリーン フランツ・グローテ ルート・ロイヴェリック ハンス・ホルト ヨーゼフ・マインラッド |
その昔、ドイツ映画といえば、「会議は踊る」「制服の処女」
「未完成交響楽」等幾多の名作によって世界を風びしたものであった。そのドイツも戦争によ
ってすべてを失い、ゼロに還元させられてしまった。そして、暗中模索のような時代がながく
つづいた。それが次第に復興の機運を見せはじめたのは、戦後10年を経た1955年からで、
この頃に至って「08/15」や、「誰が祖国を売ったか」などのすぐれた作品が生み出され、
再び世界の注目を浴びるようになった。
このめざましい復興の芽はその後もすこやかに伸びつづけて、遂に「菩提樹」のよう な明るく美しい未来を一杯にはらんだ作品となって見事な開花を遂げたのである。ドギツイ作 品の汎濫する昨今、これまた何ときよらかな美しさに溢れた作品であろうか。それほ、そのま ま新生ドイツ映画の洋々たる未来を暗示するもののように思われる。 この映画は小説ではなく実話である。夫人マリア・アウグストの波瀾にみちた若き日をその まま映画化したものである。修道女から男爵夫人となり、若くして7人の子供の母となり、一 筋の誠意とおおらかな愛情をもって運命の変動を明るく生き抜いた女性で、彼女が子供たちと 共につくったトラッブ合唱隊は、マリア・アウグストの名と共に、全世界にその名を知られ、 親しまれている。 彼女は、1956年母の日には合衆国の「年の母」に選ばれ、数年前にはインディアナ州立大学 から名誉博士の称号を贈られている。 この映画には我々の耳にもなっかしい幾つかの民謡が歌われているが、現在までに「歌うト ラップ一家」が巡業して廻った国ほ、米全土のほか、50数カ国に及び、レコード、テレビ、 公演によっていまも世界の人々に親しまれている。男爵夫人がその生涯を書きつづった著書は 先年アメリカで発表されるやベストセラーとなり、ハリウッドでも映画化の話が出たが、主演 女優のことで男爵夫人の承諾が得られなかった。 監督のウォルフガング・リーベンアイナーは俳優から監督になった人で、戦前から活躍して いたが、戦後は |
特にあらゆる傾向の作品を手がけて、抒情的な面、リアルな面、喜劇的な面と
一作毎に新しい面を開拓しつつ遂に「菩提樹」でそのすぐれた才能を十二分に発揮することが
出来た。脚色のゲオルク・フルダレックは歴史もの、伝記ものを得意としており、近作に「国王
陛下」「女王ルイゼ」などの歴史的大作品の脚色に当っている。
主演のルート・ロイヴェリックはデポラ・カーによく似た優雅な面影と充実した演技力と で、いまのドイツ映画及び演劇界の貴重な存在となっている。 「菩提樹」につづいて、大作「女王ルイゼ」「いつも日がはじまるとき」に、主演して人気の 中心となっている。トラップ男爵に扮するハンス・ホルトはオーストリア映画「モーツアルト の恋」で51年に我国に紹介されたことがありオーストリア、ドイツ映画界で活躍しており1935年 映画界にデビューして以来、「菩提樹」は彼の65本目の作品である。 <物語> 第一次大戦当時Uボートの艦長として活躍したトラップ男爵ほ、非の打ちどころのない立派な人物 である。大金持で、ハンサムで、しかも情操ゆたかな紳士…だが、ただ一つ気の毒なのは、7人の幼 い子供を残して妻に先立たれたことである。 トラップ男爵は呼子と号令で万事軍隊式に子供を育てた。あまりの厳格さに26人目の家庭教師 も暇をとって出てしまったあと、このいかめしい男爵邸に現われたのは、マリアという元気一ばいな 若い見習修道女であった。マリアほ、しぶしぶながらしばらくの間俗界に戻ることになり、大きな鞄 をぶら下げ、片時も手ばなしたことのないギターを抱えて男爵の城へやってきた。 最初の夜、烈しい雷雨の夜、マリアほ子供たちがみんな素直ないい子で、歌うことが大好きだとい う素晴らしい発見をした。翌日、男爵が旅に出た留守、彼女ほ野放しの自由教育をはじめた。広い庭 園をとんだりはねたり、緑の芝生の上をころげまわったりすることがどんなに楽しいか。これは男爵 家にとって、革命であった。・・・ (105分) |