<Die Brucke>   (59年独)

<スタッフ>
監督
原作
脚本

撮影

美術

音楽

<キャスト>
フランツィスカ
シュテルン教諭
ハイルマン伍長

ベルンハルト・ヴィッキ
マンフレッド・グレゴール
ミヒャエル・マンスフェルト
カール・ヴィルヘルム・フィフィア
ゲルト・フォン・ボニン
ホルスト・フェールハーバー
ペーター・シャルフ
ハインリッヒ・グラーフ・ブリューレ
ハンス・マルティン・マイエフスキー


コルドゥラ・トランロウ
ヴォルフガング・シュトゥンプ
ギュンター・フィッツマン
 第二次大戦も終りに近い1945年4月、とあるドイツの田舎町で、 命じられたままに優勢な米軍と最後まで戦い、無意味な犠牲となって死んでいった 7人の少年たちの物語。すさまじい戦闘場面をリアルに再現しながら人間性をふみにじり、 前途ある少年たちの命を一瞬にして奪い去る戦争の悲惨さを強く訴えている。 当時の実話にもとづいた、マンフレッド・グレゴールの同名の小説を映画化したもの。
 監督は、すでに俳優として活躍、「最後の橋」「戦場の叫び」フランス映画「女猫」などで わが国にも紹介されているベルンハルト・ヴィッキ。59年になってはじめて監督に転じ、 第一作の短篇映画「彼らはなぜ逆らうか?」で同年のベルリソ映画祭で銀リボン賞を獲得した。 この映画はそれにつぐ第二作目、長篇映画としてはこれがはじめてである。
 監督をたすけるスタッフはいずれも新生ドイツ映画にふさわしい新鋭ぞろい。 とくに音楽はハンス・マルティン・マイエフスキーの電子音楽が用いられている。
 出演者は無名の新人が多く、主役の少年たち7人はフランク・グラウブレヒトひとりをのぞいて、 いずれも素人ばかりという異色のキャスティングである。
 この映画の後半の戦闘場面ではすさまじい迫力をもり上げているが、屋外撮影はすべて バヴァリアのヒアム市で行われた


 <梗概>  第二次大戦も終りに近づいたあろ日のことであろ。中部ドイツの田舎にあるこの町に、その朝早く、 はじめて空襲警報が鳴った。米軍機が一機、町はずれの橋に爆弾を落としたのである。 爆弾は目標をはずれ、橋には何の被害もなかったが、この空襲は、町の人々に米軍がもうすぐ近くまで迫っている という緊迫した空気をさらに強く感じさせた。
 この町の高等学校の最上放生は16才。それより上の生徒はすでに戦場にかりだされていたのである。 残さ
れた彼らのうち、7人が男、女は1人だけだった。そのうちでも最も小柄のジギー・ベルンハルトは 母ひとり子ひとりのしがない洗濯屋の息子である。めっきりふけこんだ母親はその息子が兵隊にとられないようにと そればかりを願っていた。
 カール・ホルバーの父親は若い女の助手バルバラとともに理髪店を開いている。 母親のないカールはそのパルバラにほのかな憧れを抱いていた。だが、その日、バルバラの部屋で 父と彼女のみだらな姿をかいま見たカールは女という女が不潔に見えるのだった。
 ユルゲン・ポルヒェルトは地主の息子である。家は代々軍人たが、少佐だった父親が戦死したいま、 気丈な母親がひとりで一切をきりまわしている。彼は軍人の息子にふさわしく、祖国のために雄々しく戦うことを 夢みていた。
 年の割に早熟で体格も立派なヴァルター・フォルストはナチの地区指導者の父親が大きらいだった。 父と女秘書との関係を知っていたのである。その日も、英語の時間に教室をとび出し、 疎開列車に乗って発っていった母親を駅に見送った彼は父親にくってかかった。母親を疎開させたのも、 秘書と2人きりになるための父親のたくらみなのだ。
 空襲のはげしいブレーメンから疎開してこの町に来ていたクラウス・ハーガーは クラスの中のただひとりの女生徒フランツィスカと仲がよい。その日、爆弾の落ちたあとを見に橋ヘヤって来た2人は、 そのまま河原を散歩した。2人はまだ口にこそ出したことはなかったが愛し合っていたのだ。
 アルバート・ムッツの父は出征中である。残されたムッツ夫人は息子のためにもと、 年の割に分別のあるハンス・ショルテンをベルリンから呼んで、息子同様に面倒を見ていた。
 その日の夕方、少年たちは河岸に集った。彼らはとぼしい材料を集め、クラス担当のシュテルン教諭の 指導でボートをつくっていたのである。・・・  (104分)

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