パリは燃えているか<Paris brule-t-il ?> (66年仏米)Is Paris Burning? |
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<スタッフ> 製作 監督 原作 脚色 フランス語追加台詞 ドイツ語追加台詞 撮影 装置・美術 作曲・指揮 編集 <キャスト> イヴォン・モランダ モノ一博士 フランソワーズ・ラべ カルチャー中尉 タンクのGI ジャック・シャバン=デルマ パットン将軍 ブラドリー将軍 ディートリーヒ・フォン・コルティッツ ビジアン軍曹 ワレンGI カフェの女主人 シーバート将軍 クレール ワレンと一緒のGI ラウール・ノルドリンク |
ポール・グレッツ ルネ・クレマン ドミニク・ラビエール ラリー・コリンズ ゴア・ビダル フランシス・フォード・コッポラ マルセル・ムーシー グレト・フォン・モロー マルセル・グリニヨン ウィリー・ホルト モーリス・ジャル ロバート・ローレンス ジャン・ピエール・ベルモンド シャルル・ボワイエ レスリー・キャロン ジャン・ピエール・カッセル ジョージ・チャキリス アラン・ドロン カーク・ダグラス グレン・フォード ゲルト・フレーベ イヴ・モンタン アンソニー・パーキンス シモーヌ・シニョレ ロバート・スタック マリー・ヴュルシニ スキップ・ウォード オーソン・ウェルズ |
パリは燃えているか?
1944年8月、第二次世界大戟の連合軍の反撃が始まったころ、ヒットラーが幕僚にこうたずねたとき、 世界の歴史がぬりかえられていた。 パリは燃えているか? ”ニューズィーク”誌のパリ通信員であったラリー・コリンズと フランスの“パリ・マッチ”記者ドミニク・ラビエールは、このヒットラーのことばを題名にして、 パリ解放の歴史的2週間を描いたルポルタージュ小説を書き、たちまち世界的ベスト・セラーになった。 資料調査に3年をついやしたこの小説は、20世紀の代表的ルポルタージュ文学の一つといわれている。 「橋からのながめ」「肉体の悪魔」の国際的プロデューサー、ポール・グレッツはいちはやく この原作の映画化権を獲得、パラマウントと結んで、製作に着取した。シナリオにはアメリカの第一線の劇作家で 「去年の夏突然に」を脚色したゴア・ピダルとフランシス・フォード・コッポラの二人を起用、 撮影監督が「危険な関係」「悪徳の栄え」「熱風」のマルセル・グリニヨン、美術装置が「史上最大の作戦」 「ダンケルク」のロジャー・ボルパーとウィリー・ホルト、特殊効果には「ベンハー」「史上最大の作戟」の ロバート・マクドナルド、音楽は「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」のモーリス・ジャルと 現在望み得る最高のスタッフを編成、監督には「鉄路の闘い」「鉄格子の彼方」「禁じられた遊び」「居酒屋」 「太陽がいっばい」の世界的名匠ルネ・クレマンが当っている。映画の歴史に残る世紀の大作にふさわしい 完璧の布陣である。 パリは燃えているか? 20世紀の歴史を塗り変えた2週間を描くこの大作は、重要な役だけで50に及び、 その役に選ばれたスターの顔ぶれが、またすばらしい。 出演者は名前を聞いただけで息のつまりそうな顔ぶれである。 撮影は1965年9月から開始された。 製作者ポール・グレッツは66年、2月、編集の途中において急死した。 | <梗概>
1944年8月
第二次世界大戦の連合軍の反撃作戦がはじまっていたころ、 フランスの装甲師団とアメリカの第四師団が、ドイツ軍に占領されていたパリに進撃を開始する命令を 待っていた。パリでは、シャルル・ドゴール将軍の幕僚シャバン=デルマ将軍が 自由フランス軍の首領ロル大佐と会見、パリ防衛の戦闘計画について激論をたたかわせていた。 過激な共産党員であるロル大佐は約束ずみの武器弾薬が手に入ったらただちに決起すると主張した。 シャバン=デルマ将軍は連合軍の到着が確実になるまで攻撃を待つようにと説いた。 パリをワルシャワのような廃墟にしたくなかったからだった。 東プロシャの森の中のヒットラー総統の指令部では、パリ占領軍司令官に任命された ディートリッヒ・フォン・コルディッツ将軍が総統から指令を受けていた。 連合軍が進攻して来たら、パリをロッテルダムやセバストポリの様に灰尽に帰せしめよ、と言う指令だった。 将軍はヒットラー総統が狂ったのではないかと思った。 その頃、パリのある修道院にイギリスの諜報部から来た男が現れた。 レジスタンス部隊の隊長の一人に、連合軍はパリを通過しないで進撃するというメッセージを伝えた。 シャバン=デルマ将軍はこのメッセイジを知るとロル大佐を説いて、 自由フランス部隊の決起を止めなければ、パリが壊滅するかも知れぬと考え、 政治犯としてドイツ側に捕えられているベルナール・ラベを釈放させる計画をたてた。 ロル大佐を説き伏せられる人間はラベの他にいないのだった。 ラベの妻フランソワーズもレジスタンス部隊の一員だったが夫を救おうとして、 シャバン=デルマ将軍の計画に従い、スェーデン領事ノルドリンクをたずねて、援助を依頼した。 ノルドリンクはドイツ軍が捕虜交換に応じない事を知っていたが、占領軍司令官が変わったので、 あるいは打開の道があるかもしれぬと考えて、援助を約束した。 ノルドリンク領事はフォン・コルディック将軍を説いて、ラベの身柄を赤十字に引き渡す命令書を ・・・(169分) |