フルフル<Frou Frou> (55年仏) |
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<スタッフ> 監督 原作 脚本 撮影 音楽 <キャスト> フルフル ウラジミル公爵 アルチュス サバチエ |
オーギュスト・ジェニーナ セシル・サン・ローラン A・E・カール アンリ・アルカン ルイギ ダニ・ロバン ジノ・チェルヴィ フィリップ・ルメール ジャン・ウァール |
「フルフル」は、一人の愛すべき女性の半生を通じて物語られる40年に亘るパリの姿である。
よき時代と云われた十九世紀の始めから、現代に至るまでのパリ、そして、そこに生きた女のよ
ろこび、溜息が、自然の四季の移り変りを見るような美しい感懐を籠めて、素直に描き出されている。
これは、貧しい花売りの少女の身の上に起ったおとぎばなしである。だがそこには、女の真実
や、恋や、人生のきびしい現実が忘れられてはいない。
フルフルと渾名された可憐な花売り少女が、4人の紳士に愛されて富裕な生活に入りながら、 本当の恋を知ったために、人生の悲しさを知らなければならなかったという物語だが、時代は変り、処は変 っても、女の生きる姿に変りはなかろう。 1人の俳優が、無邪気な花売娘から、媚びを知り、意志を持つ女に成長し、更に裏切られた恋人となり、 そして最後に深い痛手に泣く母親となるまでを演じるのは、容易な事ではない。可憐な 女らしさと賢さを持ったダニ・ロバンなればこそ、この愛すべき 女の一生をやりこなせたと云えよう。 原作は、「浮気なカロリーヌ」「塵史は女で作られる」等の小説の映画化で、 最近映画界の寵児と謳われるセシル・サン・ローランである。監督のオーギュスト・ジェニーナはイタリア人だが、 フランスでも活躍しており、寡作だが老練な手腕を高く評価きれており、1949年ベニス映画祭で 受賞した「マレー家の娘」は彼の傑作と称されている。 カメラは期界随一の名手アンリ・アルカンで、初めて手がけるシネスコの画面からは、 いかにもフランス的な柔い感覚が、適確な画面構成のうちに溢れている。1912年当時パリで有名だっ たキャパレ「テレームの僧院」や、1924年頃の美術家達の裸無踏会の模様、その頃のカフェ・コンセールの雰囲気等が、 肌にふれるような鮮やかさで再現されているのは、流石アルカンである。 配役は、ダニ・ロバンの他に、イタリアの映画演劇界で活躍すも名優ジノ・チェルヴィや、 二枚目スターとして人気ますます高いフィリップ・ルメール等が名を連ねている。 | <物語>
1912年のクリスマスの夜、評判のレストラン「テレームの修道院」で、年配の4人の紳士が、
きらびやかに着飾った情婦達を傍らに侍らせて、退屈な食事をしていた。そこへ蘭の花売り娘
が来かかった。年は16で、みんなからフルフルと呼ばれている。
「貴婦人たちのスカートがテーブルの間を縫って通るとき、フルフルて鳴るでしょう。私、あの音か大好きなの」と彼女は云う。
それでみんなからフルフルと呼ばれるようになったのである。
世智辛い浮世にたった一人で大きくなって来た可憐な娘だが、まだ自分にどんな魅力があるかも気づかない無邪気さ。 彼女は4人の立派な紳士を眺め、ひどく立派に見えたので、正直にそう云う。4人の男は面白がって微笑する。 フルフルは勇気が出て、4人の紳士を次々に観察⊥てみる。――ウラジミル公爵は見るからに「プリンス然」としている。 でぶの実業家サバチェ氏は、ほんとうにやさしい目をしている。クージネ・デュラン大佐は、乗馬にかけては並ぶものがあるまい。 浮気者のシジスモンは、フルフルの目には世にもやさしいおじさんに見える。天心爛漫に輝やくフルフルの瞳を見て、わが4人 の紳士はすっかり若返った気特になる。この子を射止めたらどうだろう? フルフルが他のテーブルへ去ったあと、4人の紳士は すっかりお冠りの4人の情婦の傍らで、ぼんやり考え込む―― かくて、フルフルの人生に思いがけないおとぎばなしが始ったある日、彼女の屋根裏部屋へ1人の従僕が尋ねて釆て、 フルフルは立派なアパートへ連れて行かれる。そこには4人の紳士か待っていて、みんなで「大事に、間違いのないように」面倒を 見てあげようというのだ。 相手は4人だから、ちっとも怖いことなんかないわ、とフルフルは考え、服や宝石や立派な部屋や、呉れるものは何でも貰った。 しかし、下心のあった4人は、手を変え品を変え、交りばんこにフルフルをベッドの上で征取しようとする。 ・・・ (113分) |