火山の驚異

<Le Rendez-vous du Diable>   (59年仏)

<スタッフ>
監督・撮影
協力
技術顧問
音楽
解説執筆
日本語版解説



アルーン・タジェフ
ピエール・ビシェ
ルネ・ル・エナフ
マリウス・フランソワ・ガイヤール
ポール・ギマール
R・M・アルロー


 ベルギーのブリュッセル大学地質学教室の助手をしていたアルーン・タジェフは戦後、 火山の研究に一生を捧げようと決心、世界のどこかで火山が活動をはじめるような、 微侯が見えるとノートをポケットに、カメラを片手に、すぐに現場にかけつけ、いままでに、 いくつかの短篇記録映画を発表して来た。そのタジェフが1956年の5月から、 アジア、中南米、アメリカ、ヨーロッパの各地の火山を訪れ、できるだけ望遠レンズを使わずに 噴火口に近づき、ある時は噴火口の中にまで降りるという危険をおかして撮影の末に完成したのが、 この長篇記録映画である。
 長い時間とタジェフの非常な努力の結晶ともいえるこの映画は、 二度と再び作ることのできないものだけに、学問的にもこの上ない貴重な記録ということができよう。 この中におさめられた火山は全部で19。わが国の富士山、桜島、阿蘇山なども含まれている。
 撮影は主としてタジェフ自身が担当したが、友人である画家のピエール・ビシェが 彼のよき協力者として旅行に加わった。また編集その他の専門的な技術顧問として、 フランス映画界で活躍しているルネ・ル・エナフが参加、音楽を映画音楽家として知られる マリウス・フランソワ・ガイヤールが担当している。
 たお、この映画を作ったアルーン・タジェフの功績に対し、 科学の進歩に貢献したと認められる長年の業績に与えられるペルマン賞が与えられた。 また、1959年度ベルギーのフェミナ特別賞、同じく59年、トレントの山岳映画祭二等賞を授けられた。
 <梗概>  今から約2千年の昔、人口3万の都市が、或る火山の麓に栄えていた。 その名はポンペイ、そして火山はヴェスーヴィオ(ベスピアス)である。 ところが、西暦79年8月24日、この都市に突然最後の日が訪れた。 ヴェスーヴィオの大噴火による火山灰が街を埋めつくしてしまったのである。
 こうした悲劇は、しかし、現代でも、いつどこでわれわれの上に起るかわからない。 そんな恐しい火山とはいったい何なのだろうか。
 地球の表面、厚さ20キロから50キロぐらいの地殻の下には硬い岩石でできている中間層があり、 地下2,900キロの深さにまでひろがっている。その中間層の上部に、ところどころマグマ (岩漿)と呼ばれる1,200度以上の高温でとけた岩が生じることがある。 それが地穀の割目から地上に噴出したものが火山である。噴き出したマグマは表面に 出たとたんに熔岩と名を変え、穴のまわりに冷えて固まる。そして更にその上に 灰や石の破片などがつもりつもってだんだんと山を形づくって行く。
 ポンペイの悲劇から2,000年後の或る日、ベルギーの地質学者アルーン・タジェフは 世界中の火山の探検を思い立った。彼は友人の画家ピエール・ビシェを一行に加えて、 まず火山国日本へ向った。
 途中、飛行機の上から美しい富士山を眺めた。この山は250年間、一度も噴火したことはないが、 実は噴火をやめたとは言えない。火山の生命は長いのだ。一行がはじめて登った火山は九州の桜島だった。 タジェフのカメラは物すごい爆発の光景をとらえた。 ・・・  (80分)

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