伯爵夫人<A Countess from Hong Kong> (67年英) |
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<スタッフ> 製作 原作・監督・音楽 撮影 <キャスト> オグデン ナターシャ ハーヴェイ 老給仕 特別出演 |
ジェローム・エプスタイン チャールズ・チャップリン アーサー・ホプキンス マーロン・ブランド ソフィア・ローレン シドニー・チャップリン チャールズ・チャップリン ジュラルディン・チャップリン ジョセフィン・チャップリン ビクトリア・チャップリン |
「ニューヨークの王様」以来、10年ぶりにカムバックしたチャールズ・チャッブリンの最新作。
66年早々にスタートとしてから、チャップリンの骨折事故もあり、ファンの気をもませながら
1年がかりで完成した彼にとって81本目の話題作である。
私は芸術を司るミューズの神々の下僕です。だから神々が『この怠け者め!また事仕に取りかかれ』 と云われれば、私はすぐ仕事に戻ります″とチャップリンは、カムバックの動機を語っているが、 彼が「伯爵夫人」の映画化を思い立った直接の動機は、 ソフィア・ローレンの「昨日・今日・明日」を見たためだと云う。 ローレンの喜劇的な才能に惚れ込んだチャップリンは、数十年前からあたためていたプロットをひきだし、 彼女を念頭において書き直したのがこの「伯爵夫人」のストーリーである。 彼がソフィア・ローレン、マーロン・ブランドのような大スターを使うのはもちろん初めてであり、 色彩映画を撮るのも最初である。 出演者はマーロン・ブランド(波止場)、ソフィア・ローレン(ふたりの女)、 マーガレット・ラザフォード(予期せぬ出来事)のオスカー・トリオの他、「烏」のティッピー・ヘドレン、 それにチャップリンの息子シドニー、娘のジュラルディン(21才)、ジョセフィン(18才)、 ビクトリア(16才)の子供達という豪華キャストを揃えている。 山高帽にダブダブのズボン、ドタグツにステッキというチャップリンのトレード・マークは見られないが、 彼自身も酔っぱらいの船員役で特別出演し、製作、監督、原作、音楽など、相変らず多才ぶりを見せている。 尚、ローレンの衣裳をクリスチャン。ディオールが担当しているのも、チャップリンの 彼女に対する気づかいがうかがわれて興味深いものがある。 <梗概に替えて> 香港、神戸、ホノルル経由で米国へ向う豪華客船の船客で若い米国人の金持、オグデン・メアーズは 親友のハーヴェイと一緒に旅をしているのだが退屈しきっていた。 船が香港に綻泊中、オグデンは白系ロシアの伯爵夫人と称する若い女と一夜、遊びまわって楽しく過したが、 翌朝、自分の豪華船室で目をさますと衣裳ダンスにかくれている彼女を見つけた。 |
勿論、大いに腹をたてたが、彼女と話している中に密航するこの女を助けてかくまってやるのも
退屈しのぎにはいい遊びと思うようになった。そこで船の広間から寝室へ、寝室から浴室へ、それに時としては
再び衣裳ダンスに身をひそめさせる「鬼ごっこ」が始まった。見ている方は此の大騒ぎに呆気にとられる。
9年間の沈黙の後、サウンド・ステージにチャーリーを引き戻した「伯爵夫人」が始まるわけだ。 この映画で彼は原作、監督、そして作曲も担当している。 久し振りで特殊な独創性を発揮するチャップリンは「伯爵夫人」に数々の「はじめて」のことをやってのけている。 ―まず最初に彼にとっては始めてのテクニカラー映画である。 ―既成スター、名声を長く確保しているスターを使ったが、これも彼としては始めてで いままでは無名の新人を起用して一作によって大スターにした。 ―1919年、(チャップリンがメリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、D・W・グリフィスと ユナイテッド・アーチスツを結成)以来、他の会社の指揮下で映画を作ったのは、これで彼としては始めてのことだ。 ―長い映画経歴の中で彼が製作した映画の中で主演しない(船室附き給仕として、ちょっぴり顔を出す)映画である (例外は1923年の「巴里の女性」)。 にもかかわらずチャップリンは、この映画の構想を既に「独裁者」製作当時から、頭脳の中であたためていた。 ブランドとソフィア・ローレンが主演者ではあるが、彼らの動きのはしばしにチャップリンのミミック(物真似風)の 伝統的な「芸風」が彼らの凡ての動きに判然と表現されている。 おかしさ、ユーモア、幻想が哀愁と織り交ぜられているのがチャップリンの「伯爵夫人」である。 彼の他の映画と同じく作品のテンポとリズムが律動的に、ギャグの完全な支配とともに調和し、凡ての演技のいろいろな 事実と表現をチャップリンが、まったく掌握しきっていることは、映画界が最大のタレント、最高の映画芸術の 創造者とする所以である。 (120分) |