嵐の中の青春<I am a Camera> (55年英) |
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<スタッフ> 監督 原作 脚色 撮影 美術 音楽 <キャスト> サリー・ボウルス クリストファー・イシャーウッド ナタリア |
ヘンリー・コーネリアス クリストファー・イシャーウッド(小説) ジョン・ヴァソ・ドルーテン(戯曲) ジョン・コリア ガイ・グリーン ウィリアム・ケルナー マルコーム・アーノルド ジュリイ・ハリス ローレンス・ハーヴェイ シェリイ・ウインタース |
「女ごろし五人男」のアレクサンダー・マッケソドリックと並んで、イギリス映画界の
得意とするコメディの正統を受け継ぐ監督と目されている新鋭へソリー・コーネリアスが、
英国アカデミー賞を受けた名作「ジュヌヴィーエーヴ」(未輸入)に次いで監督した最新作である。
英文壇有数の小説家として知られるクリストファー・イシャーウッドが1930年代のベル リンを背景に、自分の体験にもとづいて書いた短篇小説「サリー・ボウルス」を、「ママの想 い出」「山鳩の声」などで知られるアメリカの劇作家ジョン・ヴァン・ドルーテンが戦後「私 はカメラだ」と題して戯曲化した三幕ものが原作になっている。ナチ抬頭前夜のベルリンに生 活する青年男女の生態を見事に描き出したこの劇はロンドンとブロードウェイの舞台で上演さ れ数ヶ月のロング・ランを打つという大当りをとったものである。 またこの映画の原名も原作の戯曲の題名と同じく、「私はカメラだ」となっており、小説の 原作者クリストファー・イシャーウッド自身を主人公とする、いわば私小説的な一人称形式を とっている。 脚色は「三つの恋の物語」などアメリカ映画の脚色もしたことのある有名な小説家ジョン・ コリアが担当し、撮影は「最後の突撃」 「大いなる遺産」たどの名作を手がけ、最近では「仮 面の追撃」の演出をも担当している名手ガイ・グリーンが、美術は新人ウィリアム・ケルナー、 音楽は「愛情は深い海のごとく」のマルコーム・アーノルドがそれぞれ受持っている。 ブロードウェイでサリー・ボウルスを演じて絶讃を博したジュリイ・ハリスが映画でも同じ サリー役を好演、「エデソの東」に次いで3本目の映画出演を飾り、 相手役のクリストファー・イシャーウッドに「ロミオとジュリエット」「ナイルを襲う嵐」などに 出演した二枚目俳優ローレンス・ハーヴェイが扮し、また「陽の当る場所」のシェリイ・ウインタースが ハリウッドから招かれて、本格的な演技を見せている。 | <物語>
私の名はクリストファー・イシャーウッド。職業は作家である。
商売柄、新刊血紹介のパーティにはよく招かれる。
今日も、本の名も著者も知らぬままに、 とある新人の出版記念パーティに出向いた私はふと手にしたその本の著者の名 を見てあっと驚いた。サリー・ボウルス…私は思わずわが眼を疑った。まぎれもないあの女の名だった。 私はいつしか遠い昔の記憶をまさぐっていた。ベルリンでの暗い青春の想い出を。 1931年、ドイツ語の知識を唯一の財産に、無一文のままベルリンへやって来た私は、口す ぎのために英語の家庭教師をしながら、小説を書いていた。そろそろナチが勢力を占め始めた 当時のベルリンは暗い雰囲気に包まれていた。 無力た私に何ができよう。私はただシャッターをあけ放したカメラのように冷静に観察するだ けだった。「私はカメラだ」…そんな云い逃れにも似た台詞を考え出していた。しかし一向 に小説の筆は進まず、懐の淋しさをかこちながら下宿にくすぶっているばかりだった。 その年の暮も押しつまった大晦日の夜、そんな私は友人のフリッツに誘われて、ふと、街の ビヤ・ホールに足を向ける気になった。私がサリー・ボウルスに会ったのはそのビヤ・ホールでのことだった。 爪を緑に染めた彼女は、そこの歌手だった。 "3、4日前に会ったすてきな人" ピエールに捨て られ、おまけに有り金全部まき上げられて悄然としている彼女に、同じ 英国人という気持も手伝って、私はすっかり同情してしまったのである。 こうして文無しのサリーは私の下宿に一夜を明かすことになった。 ところが、たゎた一晩と思った私の思惑をよそに、サリーはちやっかりと居坐ってしまった。 職のない彼女は毎月周旋屋を歩かねばならず、私は2人の生活を支えるために質屋通いを始め た。勿論、小説が書けよう筈もなかった。・・・ (98分) |