ペ ペ

<Pepe>   (60年)

<スタッフ>
製作・監督
原作

脚色

撮影
美術
作曲・指揮

<キャスト>
ペペ
テッド・ホルト
スージー・マーフィ

ジョージ・シドニイ
レオナルド・スピゲルガス
ソニア・レヴィーン
ドロシイ・キングスリー
クロウド・ビニヨン
ジョウ・マクダァナルド
テッド・ハウアース
ジョニイ・グリーン


カンテインフラス
ダン・デイリイ
シャーリー・ジョーンズ
―共演のスタア― ☆モーリス・シュバリエ ☆ビング・グロスビイ ☆マイケル・キャラン ☆リチャード・コンテ
☆ボビイ・ダーリン ☆サミイ・デイヴイス・ジュウニア ☆ジミイ・デュランテイ ☆ジヤ・ジャ・ガボール
☆ジュデイ・ガーランド(声のみ) ☆グリーア・ガースン ☆ヘッダ・ホバア ☆ジョーイ・ビショップ
☆アーニー・コヴァックス ☆ピーター・ロウフォード ☆ジャネット・リー ☆ジャック・レモン
☆ジュイ・ノース(わんばくデニス) ☆キム・ノヴァク ☆ アンドレ・プレヴァン ☆ドナ・リード ☆デピー・レイノルズ ☆エドワード・ G・ロビンスン ☆シーザー・ロメロ ☆フランク・シナトラ   ☆他に多数

カンテインフラス(ペペ)

 「八十日間世界一周」に出演して一躍国際的な人気を博したカンテインフラスは、 ハリウッドや世界中の映画会社から出演申込、交渉、契約、台本の洪水に見舞われた。 彼は、業界の言葉でいうと素晴らしい文化財となった。
 しかし、カンテインフラスは――彼の相棒ジャック・ゲルマンと共に――どんなに高い報酬を貰っても 彼が芸術家として慎重に作り上げた性格を犠牲にし、又はこれをそこなうような役であれば どんなにうまく口説かれても圧力をかけられても断呼として引受けることを拒否した。
 従って彼は「ペペ」の主役に適任であるということにジョージ・シドニイと意見が一致するまで 4年間も辛抱したのである。このことは彼の真実な芸術的良心の表われであった。
 この非凡の俳優を描写する二つの最上級の言葉がある。即ち彼は興行界で最高の所得を持つ芸能人であり、 また芸能界に於ける最大の博愛主義者である。
 この羨やましい頂点に達する前、彼はメキシコ市の郵便局員の五男、マリオ・モレノという名で 人生をスタートした。その家庭には6人の男の子と2人の女の子がいた。マリオはマルトロメ・デ・ラス・カサス学校、 チャピンゴの国立農学校に通学し、それから3年間医学校に通ったが、彼は正規の教育にはあまり興味がなかった。 機会さえあれば教室から抜け出して街頭で歌ったり踊ったりしていた。
 ある日家出をしてジャラバに行き、ダンサーとして旅興行の一座に加わった。
 マリオは音楽喜劇を見るために3セントの入場料を払ってくれる観衆が好きであった。 未来の大スターのそのときの給料は1日1ドルであった。
 テントを張って旅興行するショウでマリオは歌手、ダンサー、軽業師、懸賞拳闘師、道化師と何んでも覚えた。 彼は家族に金を送っていたが、自分の仕事を家族に知られないため、カンテインフラスという新らしい名前を名乗ることにした。
 この名前は当時は何の意味も持たなかったが、今ではカンテインフラスが人々の崇拝する偶像となったのと同じように メキシコ国語の一部になった。普通名詞として使うと「愛すべき道化師」という意味である。

 旅興業の一座を卒業して彼はメキシコのレビュー劇場に出演するようになったが、 そこで1940年にジャック・ゲルマンという新進の映画配給者に見出された。サンチャゴ、リーチと一緒に 彼らはメキシコ、中南米、アメリカ合衆国に配給する映画の製作会社ポサ・フイルムスを設立した。
 年毎に製作されるカンテインフラス映画は出るたびに前回のものよりも人気を呼んだ。 「ザ・スリー・マスケティヤス」(「三銃士」)と「ザ・アンノウン・コップ」(「無名の警官」)と 「ザ・サーカス」は初期のヒット映画の中に数えられる。
 カンテインフラスが着用する衣裳は利口なメキシコ浮浪人の奉る衣裳として彼がデザインしたものである。 ズボンはロープ糸で腰のまわりに今にも落ちそうに支えられて居り、肌着は長く拡がっていて、フェルトの帽子は凸凹で、のどのまわりにハンカチーフ、 ボロボロの上着を肩の上に注意深くまとっているといったいでたち。
 彼の扮する人物は心ならずも成功する貧乏人であるが、これは多くの観衆が彼と結び付きやすい特徴である。 そして、彼は何とかかんとか工夫して失敗から立ち上り複雑に困難から首尾よく抜け出すが、 彼は常に貧民の人である。 か 実生活に於てもまたカンテインフラスは貧民の人である。メキシコでは、もし彼がコリダの伝統を皮肉る代りに その伝統に従うことを選んだら偉大な闘牛士となることができたであろうといわれているが、 彼はマノレートが死んでからメキシコ・シティ世界最大の闘牛場をいつでも5万人の観客で充たすことのできる 唯一人の人物である。彼の闘牛競技の大部分は慈善興行である。それだからこそ彼の才能と同じように 彼の人間愛のために人々から愛されているのである。
 カンテインフラスは彼といっしょに旅興行の一座に出演していたロシヤ系のダンサーである 妻ヴアレンチナ・ズバレフといっしょにメキシコ・シティに住んでいる。毎年ヨーロッパと中南米諸国へ 旅行するのが彼ら夫妻の習慣であったが、今後は熱心な招待にこたえて全世界のあらゆる地方を 訪問することになるであろう。

 円熟はカンテインフラスの芸術に深みをもたらした。このことはまばゆいほど輝いた、 そして多くの面を持った
「ペペ」の性格描写に明らかに見られている。 1947年にカンテインフラスに会ったジョ−ジ・シドニイは、目の前のすばらしい才能に魅せられ 一度は彼を使ってすばらしい映画を作ろうと堅く決心をした。問題はこの素晴らしいメキシコの喜劇俳優を ハリウッドへ誘い出す方法を見出すことであった。というのは、世界中のどこの映画会社からも出演を求められているけれども カンテインフラスは非常に良心的な芸術家であるからである。
 頭の奥に宿ったアイデアの胚芽から始ってシドニイはそれを拡大して遂に彼は最上級の映画脚本家の何人かと 3年間検討を重ねた。そしてみんなで温い、一機智に富み人情味ゆたかな脚本「ペペ」を作り上げた。 この脚本は直ちにカンテインフラスの想像と、そして最も重要な彼の役目を捉えた。
 そこでシドニイはこの至宝芸能人のために彼が集め得る最もかがやかしいスター・パッキング(助演者)の 物色をはじめた。彼は、ストーリイの中のそれぞれの人物に扮する個々の俳優につき交渉していると、 彼らがみな偉大なメキシコの芸能人と芸術的の渡り合いをすることに好奇心を持ち、且つ熱望を感じていることを知った。
 ジミイ・デュランティはカンテインフラスと喜劇シーンを共演したが、これは恐らく映画の古典として残るだろう。

 シドニイが間もなく直面しだ「ジレンマ」は各プロデューサーの夢であった。しかし、このことは、 例えば優れたタレントのすべてにどの役を割当てるべきかといった問題のようないろいろな現実的の問題を 彼の前にもたらした。
 例えば「ザ・ラムブル」である。興奮とセックスと不純とで音を立てるこのダンス作品は、 偉大な現代バレエ「スローター・オン・テンス・アヴェニュー」と比較されている。 舞台はアンドレ・プンヴァンがピアノを弾いているビートニク・カフェで静かに始まる。 プレヴァンが「ザッツ・ハウ・イット・オールライト」を調子よく弾きはじめると動的なボビイ・ダリンも それに加わって唄いだす。そしてシャーリー・ジョーンズが「ウエスト・サイド・ストーリイ」を歌うと ユージーン・ローリング流の花火式弁がいっぱいに爆発する。観客はじっと坐って居られないほど リズムとビートがいやにしつこい。そして最後にカンテインフラスがこのトリオに加わって踊りは騒然として終る。
 また、「ザ・ファー・アウエイ・パート・オブ・タウン」を例にとると、このいつまでも忘れられない美しい唄は アンドレ・プレヴァンと彼の妻ドーリイ・ラングドンによって書かれたものである。 舞踊師ローリングが霊妙な美しい踊りを作ったが、シドニイはこの踊りこそシャーリー・ジョーンズがダンサーとして デビューするのに完全な出しものであると決定した。パートナーに彼はダン・デイリイという美しい踊り子を 彼女に与えた。それだけではない・唄の録音にはシドニイはジュディ・ガーランドの他に類のない美しい声を 使うことができた。そして、各シーンともこのようにして運ばれていった。ジャック・レモンは 最後のはねまわりに「サム・ライク・イット・ホット」の衣装をつけたが、その結果はカンテインフラスと コロムビア撮影所の外の自動車駐車場で陽気なひとときを過ごすことであった。デビー・レイノルズも このメキシコの大俳優と「テキラ」というあっといわせるようなダンスを踊った。
 ビング・クロスビイはカンテインフラスと歌を歌い、モーリス・シュバリエは歌い、踊り、恋愛について 彼に忠告を与えた。アーニイ・コヴァックス、エドワード・G・ロビンソン、キム・ノヴァック、ジャネット・リイ その他大勢がこの偉大な芸能人と劇的および喜劇的シーンに出演した。しかし、どんな人でも一本の映画の中で 見たよりも多い娯楽的な驚きを詰め込もうとするシドニイの決心はいつまでも終わらなかった。
 彼はメキシコ・シティ郊外の美しい村でコレデス時代からあったハシェンダ・ヴィスタ、ヘルモサに 撮影隊を連れて行った。そこで彼は喜劇的な闘牛を撮影したが、これを見てもカンテインフラスは 恐らくすべての時代に於ける最も偉大な闘牛士になれたであろうということがわかる。彼の巧みなタッチは どうやら高度のドラマを高度の歓喜に変えるものと見える。
 「ペペ」の娯楽的要素をさらに高めることにシドニイが魂を打ち込んだもう一つは彼がハリウッドの 最高級プロデューサーであるロジャー・エデンスにこの映画のための特別の材料を書いてもらうよう口説き落としたことであった。 「バンド・ワゴン」や「ファニイ・フェイス」のプロデューサーであるエデンスはタクスコで撮影した「ペペ」の お祭りの場面を作った。この村の住民は1500人もの大勢が出てきてこの映画に出演し、カンテインフラスと シャーリー・ジョーンズといっしょに嬉しそうにはなやかに村の街々を縫って歩いた。
  (195分)

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